わが家の飼いパンダ Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE
メルボルンと神戸とボストン・・・。この、一見なんの関係もなさそうな3つの街がつながりを持つとしたら、何だろうか。
思えばここ数年、ひとつの街にとどまってた試しがない。1996年にメルボルンに居を構えて以来、毎年のように住む地を変えている。これがときとして(っていうかしょっちゅう)国境までまたぐものだから、まわりにしたらエライ迷惑だったりもする。家族には泣かれるし、仕事仲間とは喧嘩する。遠距離恋愛がむなしく終ったこともあった。
かくいう僕も、好きで移住してるわけでもない。そりゃ、家族や友人、恋人なんかがいたり、行きつけのカフェや定食屋があってそこのおやじと仲良くなんてなろうものなら、「あー、俺はこの街に骨を埋めたい・・・」とまで思ったかどうかは別として、人間そうそう移住したいなんて思うはずがない。たまたま、やりたいこと、やるべきことが別の地にあったというだけのことなのだ。
そもそも、メルボルンに住むことになったのも、偶然の巡りあわせといえばそうだったのかもしれない。当時大学2年生だった僕は、大学の交換留学制度にのっかって留学を決意。いざトライする段階になって、その年から筑波大学の協定校にオーストラリアの大学も加わった。なんのことはない。たまたまオーストラリアのモナシュ大学の面接が一番はじめに行われたのである。
よくよく考えてみると、考えもしなかったオーストラリアが、実は僕のやりたい東南アジア研究にはもってこいの地だったし、当のモナシュ大学も、インターネットで調べてみるとなかなか魅力的なことが分かった。そしてほどなく面接に奨学金付きで受かったのである。
その後、1年間のミュージカル世界どさまわり公演を経て、ようやく実家に帰り、しばらくおとなしく過ごして卒業を手にすると、親の期待を裏切って芸能人となるべく神戸へ向かったのだ。そこには紛れもなく、僕のやりたいことがあった。メルボルンもそうだったけど、神戸に住むことになるなんて(実際は神戸の郊外だったけどそれはさておき・・・)、夢だって思ったことはなかった。よく「なんでわざわざ東京から(これも東京の郊外だったけど)わざわざ何もない神戸に来たの?」って聞かれたけど、別に神戸に来たかったわけじゃなくて、そこにやりたいことがあったというだけのことなのだった。
そして1年半後、いろいろあって実家に帰らねばならなくなり、またしても「移住」。3ヶ月おとなしく過ごしたかと思うと、今度はボストンにお引越しである。
1度でも引越しを経験したことのある人なら分かると思うが、引越しは本当に骨が折れる。荷造りだけならまだいいが、ガスを止める、電話番号を変更する、その街のゴミの出し方を覚える、などと本当にこまごまとしたことに神経をすり減らすハメになる。これが海外への移住ならビザだのなんだのってさらにややこしい。しかも今回は天下のアメリカ合衆国だからたまったもんじゃない。これほどまでにサービスや態度が悪い国もそうそうないし、治安だなんだって本当に気を使う。とどめを刺すように、こっちが気を使うほどアメリカ人は気なんか使ってくれはしないという現実。要するに良くも悪くも個人主義国家なのである。
もうお分かりだと思うが、ボストンだって、決して住みたくて来たわけじゃない。むしろ、願わくばアメリカなんて一生住みたくなかったくらいだ。ならば何故来たのか、というと、やはりそこにやりたいことがあったからだ。
何をやりたかったのか、とかって話はまたの機会に書くとして、引っ越す前は特に何の感情もなかった街でも、実際にある程度の期間そこに住んでみると、人間なんらかの情が沸いてくるものだ。幸運なことに僕の場合、このメルボルンや神戸という街がことのほか気に入ったし、ボストンも徐々にではあるけど好きな部類に入ってきて、「Goレッドソックス!」などと地元の野球チームを声をあげて応援したりなんかしている。
そうこうしているうちに、ひとつおもしろいことに気づいた。
この3つの街は、共通して由緒ある「港町」なのである。
そして、それゆえに、というか、それぞれの国のほかのどの街よりも、「ヨーロッパ的」なにおいのする街でもある。
メルボルンはオーストラリア史上初めてヨーロッパ人が政府を置いた街で、すなわち首都でもあった。神戸は古くから欧米人が行き来する街であり、北野のあたりにはいまでもそのたたずまいが残されている。そしてボストンはいうまでもなく、イギリスをはじめ、ヨーロッパからの移民がアメリカに移住しはじめた「東部13州」のひとつの、れっきとした州都であり、いまでも様々な人種が住んでいる。
みなそれぞれ、海を渡って、港からは入ってきた文化(特にヨーロッパからの)があり、それなりの歴史もある。オーストラリア、日本、アメリカと国は異なりながらも、なんとなく共通したにおいを感じるのはこのせいかもしれない。
僕は、まがりなりにも曲を書いたりすることを仕事としてきた。たまには詞なんかも書いたりして。
そして、いまはそれをもっと職人の域に達すべく、バークリー音楽院で学ばせてもらっている。
音楽は表現であり、特に曲を創る人間は、その人間の価値そのものが音楽に反映されてしまうといっても良い。なんていうと大げさだが、ほんの小さなことのひとつひとつが、彼の創る音楽の源になっているのは確かであろう。僕の場合もまたしかり。ふだん感じてることから、はたまた夕ご飯のおかずなんかが曲の題材になったりもする(ついこないだもブタ肉の曲を書いちゃった!)。おのずと、過ごしている環境は意外と侮れなくなってくる。どんな街に住んで、どんな人たちとふれあっているか、なんて基本的なことが実はとっても大事だと思い出したのは、ここ2〜3年だろうか。
神戸は、とっても愛すべき街だった。機会があったらまた住みたいと思わせる、数少ない街のひとつだ。そんな街を題材に、曲を書くことにした。想い入れが強ければ強いほど、僕の場合はそれをあざ笑うようにいつも曲が書けなくなってくる。今回も例に漏れず、曲は出来たものの詞が書けなくなってしまい、そのためアレンジもできないという非常事態。英語での歌詞を頼んでたオーストラリア人のMikaからも、「行き詰まっちゃった・・・」ってメールが来たりして。
あー、いつになったら完成するんだろう。夏には日本に帰ってこれを歌うことにしちゃったのに・・・。
とりあえず、退路をたっちゃえ、ということでピアノでぽろぽろと弾いたバージョンを、ここのBGMに流しちゃいます。実際のアレンジはだいぶ違うものになりそうだけど。あ、タイトルは「Good
Night KOBE」です。
みなさーん、なにか素敵なイメージをメールしてくださーい(けっこうまじよー)。