作曲家の独り言
第九回 「千本ノック」な歩き方
「思ってもみなかった・・・。」
クラシックの作曲を勉強するべく、七年ぶりに大学というものに籍を置いて大学院で学んだこの一年は、そう、「思ってもみなかったこと」の連続であった。
自分のこれまでの人生を振り返ってみると、僕は常に「目標設定型」の歩みをしてきたのだと思う。短期、中期、長期とそれぞれ目標を立て、それに向かって邁進していく。その中で努力を重ね、叶えたいと思っていた夢をそれなりには叶えてきたこともあり、その歩み方は間違っていないと、信じて疑わなかった。
それを、去年の夏からしばらく、変えてみようと思った。目標を定めるのもいいが、とりあえず大学院に籍を置く間は目標に向かって歩くというより、アタマの中を一度真っ白にして千本ノックを受けまくろう。そんな覚悟で去年の秋から大学院生になったのだった。
そんなふうに思考回路を切り替えてみたのには、ワケがある。目標というものは、あくまで考えうる範囲内で定めるものだ。逆にいえば、自分の想像の範囲外のことは、目標として定めることはできない。これまで自分が定めてきた目標は、「グラミー賞を取りたい」というまだ実現していない野望も含め、それなりに自分の想像の及ぶ範囲内のことだった。でも、ジャズやポップスを専門に扱ってきた僕にとって、クラシック音楽はほとんど未知の分野。限りある想像の範囲内でヘタに目標を定めてしまうと、かえって可能性を狭めてしまうのではないか。無我の境地で千本ノックを受ける間に新しい発見があり、「あ、こんなこともできるんだ」「こんなキャリアも考えられるんだ」という発想が出てくるのではないか。そんなふうに思ったのである。
前へ、前へと常に進んでいく人生も悪くないが、ときに立ち止まってみるのも悪くない。この一年「卒業したらどうするんですか?」とよく聞かれたが、こうした思考回路を説明するわけにもいかず、いつもお茶を濁した返答になってしまった。せっかく聞いてくださった皆さんには悪いことをしたと思う 。
そんな一年を締めくくるべく、学期末前にはいろいろと「頑張ったご褒美」があった。大学内で「ベスト・コンダクター」に選ばれ、ブラームスの交響曲第二番第三楽章を指揮する栄誉に授かったり、オーケストラに書いた作曲がコンペで選ばれ、学期末の大きなコンサートで演奏されたりと、充実した一年を締めくくるにはこの上ない終わり方だったように思う。
オケの作曲は、それがしたくて大学院に入ったわけだからともかく、指揮をここまですることになるとは、思ってもみなかった。最近までブラームスの曲をきちんと聴いたこともなかった自分が、まさかブラ二(クラシックの人たちは省略が好き)を指揮するようになるなんて、自分でもオドロキである。実際オケを前に指揮棒を振ってみたら、これが面白くてたまらない。これまでは自分の曲以外を振る、ということは考えたこともなかったが、今後していきたいことの中のひとつになった。
ジャズからクラシックへ頭を切り替えることも、こんなに大変なことだとは思ってもみなかった。ジャズもクラシックも同じ音楽なわけだし、理論などの基礎がしっかりしていないと書けない、という点ではジャズもクラシックも同じわけだから、それなりに書けるようになるだろう、と高をくくっていた。そんな認識は入学してすぐ木端微塵に打ち砕かれ、数ヶ月間、書いては捨て、書いては捨て、の連続。まともに曲を書き上げる事ができず、一時は「このまま大学院にいていいのだろうか」と思い悩んだこともあった。
考えてみれば、音楽におけるジャンルの違いは、料理の違いのようなもの。同じ「食」に関することであっても、一流の日本料理シェフがすぐにフランス料理の一流シェフになれるわけではない。まずはフランス料理のイロハを叩き込んで、相当の修行を積まないといけないだろう。料理の素人よりは習得が早いかもしれないが、逆に 日本料理に長けていることが仇となって、ぶつからなくてもいい壁にぶつかってしまうこともあるに違いない。僕の場合も、なまじジャズを知ってしまっているがために、他の人が通らなくてもいいような苦しみを味わうことになった。これまた、「思ってもみなかった」ことである。
こうした「思ってもみなかったこと」たちも、一年を経てだいぶクリアになり、大学はこれから三ヶ月間の夏休みに突入。仕事と学業を両立していた学期中よりは、はるかに時間ができる。この夏は、千本ノックを絶え間なく受けてきた一年を振り返って自分の音楽とこれからの可能性についてじっくり考えよう。そして、体と心をゆっくり休めたら、久しぶりにまた目標を掲げて歩き始めてみようかと思っている。
Lee aBe
作曲家。ジャズボーカルグループ「Syncopation」のリーダーとしてボストンを拠点に活躍中。ボストンポップスにも楽曲提供している。(www.crazyharmony.com)