The Best Day of My Life (2.18.2003)

Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE
オハイオ州クリーブランドのホテルで、僕はこの冬日本から持ってきた野茂英雄さんの本を読んでいた。1995年にアメリカに渡り、日本人2人目のメジャー・リーガーとしてイチロー、松井といった後輩たちへの道を切り開いてきた彼が、渡米一年目に書いた手記。読書家の母の書棚からこっそり持ってきたこの本を、この週末の旅に何の気なしに持ってきたのは、偶然ではなかったのかもしれない。
日本のア・カペラ界で(野茂さんとは比べ物にはならないけれど)ある程度の実績を作ってから渡米した僕にも、渡米に至る決意や渡米後の喜びなど、彼の経験に通じるものがたくさんある。たまたま僕がボストンに住み始めた頃野茂さんもボストン・レッド・ソックスというチームでプレーしていたこともあり、野茂さんに対する尊敬の念はそれまで以上に高くなったし、彼の投げるゲームにも何度か足を運び、感動で身震いしたのを覚えている。
そんなことを思い出しつつ迎えた、僕にとって初のジャズ・フェスティバル出演。渡米3年目にして、念願ともいえるジャズフェスからの出演依頼である上、尊敬するジャズ・ボーカル・グループ「New
York Voices」のキム・ナザリアン氏と一緒に出演したりクリニックをしたりするのだ。クリーブランドの空港に降り立った僕は、メンバーのクリスティと「(僕にとっても彼女にとっても)はじめてのジャズフェスだし、本当に感慨もひとしおだね」って話をして、スタッフの方々に出迎えてもらった頃には喜びでいっぱいだった。
キムは素晴らしい人だった。リハーサル中もクリニックの最中も、すごいエネルギーで見る人の目を釘付けにするし、さすが世界超一流のグループで15年間やってきただけのことはあって、ひとつひとつの言葉にも重みがあった。
そして、僕らSyncopationのクリニック(スキャットの権威Bob
Stoloff氏との共同)とコンサートのあった昨日。午後3時から一時間弱のクリニック直後に舞台上で僕らのサウンドチェック兼リハーサルがあり、クリニックからずっと僕らを見ていたキムは、40分余りあった僕らのサウンドチェックもほとんど最後まで見ていた。
サウンドチェックが終了した後、僕はキムが僕らを見てどう思ったか、気になって仕方がなかった。彼女はどこに行ったのだろう・・・。そんなことを思いながら楽屋に戻った僕に、びっくりするような瞬間が待ち受けていた。
まだ自己紹介もしていなかった僕に、キムが楽屋で突然歩み寄ってきて、「Lee(僕のアメリカでのニックネーム)、あなたのグループは信じられないほど素晴らしいわ。掛け値なし。ホントよ。ひとりひとりの音楽的能力にしても、性格の素晴らしさにしても、あなたたちには本当に素晴らしい能力と将来があるわ。女の子のトランペット奏者がいるってのも、スキャット能力の高さもすごく強みだし、とってもユニークだと思うの。それに、あなたの書くアレンジは、仰天ものよ。ほんと素晴らしいの一言で、それ以外に何を言ったらいいか分からないわ!あー、こんなに刺激を受けたのは久しぶり。あなたたちみたいな素晴らしいグループに出会うと、まだまだ私たち(New
York Voices)もやらなくちゃならないことがあるんだわ、って初心に戻れるの。本当にありがとう。」と、興奮冷めやらぬ調子で喋り続けた。
信じられない出来事だった。現在、今もなお活動するコーラスグループで世界で、かつ最も成功しているグループといったら、Take
6、マンハッタントランスファー、そしてNew
York Voicesの3つだといっていいだろう。そのマンハッタン・トランスファーのシェリルから選抜されたことがきっかけて始まったSyncopation。ちょうど一年前の今ごろ、Time
After Timeのアレンジを持っていったら、シェリルが仰天してたのをいまでも覚えている。そして今度はNew
York Voicesのキムから、メンバーチェンジを経て一年前より雲泥の差でレベルアップしたSyncopationのサウンドやアレンジを絶賛された。まったく別のレベルにある「本場の国」から輸入された彼らのCDを聴いて、僕はいつかこんなレベルで音楽をやりたいと思い続けてきた。そんな彼女からの言葉は、どんなものにも変えがたい称賛であり、また励ましであった。
本番前に夕食を共にした僕らは、いろいろとキムに質問したりしながら、目頭が熱くなるような時間を過ごした。
「Lee、あなたのしていることは本当に素晴らしいことだわ。バンド・リーダーで、かつアレンジもプロデュースもして、みんなをまとめていかなくちゃならない。それはそれは大変なことだと思うわ。でもそれを乗り越えて、(国境を越えてまで)頑張っているあなたには頭が下がるわ。あなたの書くアレンジも、本当に脱帽ものだし。」
「私はね、もっと素晴らしいグループが出てきてほしいと思ってるの。だからあなたたちには本当に頑張ってほしいと思う。レコード会社との契約はまだなの?でも心配することはないわ。もう長いことこういう音楽をやってきているから私には分かるの。あなたたちほどのクオリティがあれば、必ず道は開けるわ。一番大切なのは、音楽性なの。素晴らしい音楽性があれば、あとは音楽があなたたちを導いてくれるわ。ツアーも、レコードも、今までのようにあなたたちが頑張っていけば、近い将来必ず実現するから。あなたたちは大きくなる。そう、絶対になるわ。あなたたちさえ構わなければ、いつかまた絶対一緒に仕事しましょう!」
夜のコンサートは、僕らの前に30分ほど他の人たちの演奏があり、そして僕らが30分ほど、キムが40分ほどという構成だったが、僕らの演奏が終わったあとに、僕はキムのステージを見に観客席に移動した。「突然頼まれた」という、うちのメンバーでトランペット奏者でもあるクリスティーンをフィーチャーしたキムの「My
Foolish Heart」に、そして最後に歌った「That's
All」に、僕は文字通り涙を流した。本番前、舞台袖でクリスティーンが僕の肩をつかんで「音楽って、本当に素晴らしいわ。音楽、最高!」って言ってたけど、キムのステージを見ていて、僕も本当にそう思った。
国境を越えて、アメリカの音楽であるジャズを日本人の僕が表現していくのは並大抵のことではない。言葉の壁も乗り越えて、文化が異なり、極めて個性的なミュージシャンたちをまとめていくのは、本当にストレスがたまることもあるし、なにより彼らの音楽を、僕がアレンジしたりプロデュースしたりしていること自体、まるでアメリカ人が日本に来て歌舞伎のチームを率いているようなものちゃうか、と思うこともある。日本でのプロ生活も決して平坦ではなかったし、嫌なこともたくさんあった。アメリカに来てからだって、嬉しいことよりも大変なことのほうが多かった気がする。
でも、こんな瞬間があるから、掛け値なしで涙を流してしまう喜びがあるから、僕は音楽を職業に選んだのだ。苦労という言葉はあまり好きではないが、これまで苦労してきたことが、キムの歌を聴きながらフラッシュバックのように蘇って脳裏をよぎった。その数分間、僕はほとんど放心状態だった。そして思った。この日は人生最高の日だと。そしてまたこの瞬間を求めて、これからも僕は走り続けるのだと。