「なりたい自分」は「別にない」 (01.05.2012)

photo taken by Y. Haraoka
怒濤の2011年が終わった。いや、より正確にいうならば、怒濤の二年半が終わった、というべきか。2009年秋に、大学院でクラシック音楽の作曲を勉強し始めてから、現役ミュージシャン、(途中からは)大学教授、そして大学院生という三足の草鞋を履き続け、最後の数ヶ月は悲鳴をあげる身体と闘いながらも、先日ようやく二年半に渡った過酷な生活にピリオドを打つことができた。
2010年にバークリー音楽大学で教鞭をとり始めてからは特に、「実績も地位もあるんだし、いまさら大学院に通うことなんてないんじゃないの?」と言われることも多々あったのだが、元々クラシック音楽については無知に近かった自分が、まとまった時間で効率よく知識と経験を得るには、大学院というのは格好の場だった。正直いって、相当な仕事量に追われる日々の中、大学院の勉強を進めていくのは肉体的にも精神的にも相当辛いものがあった。二十代には耐えられた徹夜の日々も、三十代半ばの自分が同じことをすると回復に数日かかり、かえって効率が落ちる羽目になった。何より、徹夜をしたところで大量の仕事量は毎週やってくるわけだから、徹夜してその場をしのいだところで、次もまた徹夜が待っている。これは短距離走の勝負なのではなく、長距離走の勝負なのだ。始めの数キロを全力で走ってあとは走れなくなってしまうのではなく、延々と続く道を、同じペースで走り切らなくてはいけないわけである。
しばらくいろんな方法でやってみて出た答えは、「どんなにやることがあっても夜はスパッと寝て、逆算して朝早く起きてやる。睡眠はきちんととる。」ということだった。睡眠はなるべく六時間とるようにしていたが(そうでないといつか体を壊して余計に効率が悪くなる)、それが無理でも、夜三時に寝て朝六時に起きて仕事に出かける前に宿題をするのと、十二時には寝て三時に起きて宿題をしてから仕事に出かけるのでは、クリエイティブな思考の機能に大きな差があることを学んだ。そんなふうに書くと、「いったいどんなすさまじい日々だったんだ!?」と思われるかもしれないが、本当にそんな日々だったのである。言ってみれば毎日が期末試験で、それが延々と二年半続いていたのだ。最後の二ヶ月ぐらいは、「終わったらとことん寝るぞ」という「目の前の人参」を目前にして、なんとかギリギリのラインで一日一日生き抜いている感じだった。
そこまでして取り組んできた貴重な時間だ。せっかくなのでこの場を借りて振り返り、いろいろと考えてみようと思う。
そもそもどうして大学院で学んでみようと思ったのか。よくよく考えてみると、初めてそれを真剣に考えはじめたのは、小曽根(真)さんの影響なのではないかと思う。2005年ぐらいだったろうか。マサチューセッツ州の有名な避暑地で小曽根さんとゲイリー・バートンのデュオの前座をした際、演奏が終わったあとに夜中の三時か四時ぐらいまでふたりきりで話し込む機会があった。その際、僕にとっては演奏面でも作曲面でも雲の上のような存在の小曽根さんが、「実はこれから数ヶ月、クラシックのピアノを学ぶために学校に通うんだ」ということを話して下さり、衝撃を受けた。そして、彼が日本のオケに委嘱されて初めて独学でオケ曲を書き、その素晴らしい演奏を一緒にビデオで観させていただいたあとで、それでも「まだまだ勉強しなくちゃなあ」と言っている姿を見て「オレもいつか」という思いが芽生えたのは確かだ。
その後、自分も独学でオケ曲を書き始め、2008年には大学時代の恩師のひとりである秋野豊先生(故人)に捧げるコンサートでオケ曲を書かせていただいたのだが、最低ラインはクリアできたものの、力不足は否めなかったと思う。なんとか最低限のクオリティはクリア出来た高揚感と、力不足を実感した悔しさは、「やはりきちんと勉強せねば」という思いにつながり、その思いは数年前の小曽根さんと過ごした夜に芽生えた思いと結びついて、いよいよ行動に移される段階になった。それが、大学院に入学したいきさつである。そして、もっと言うならば、(奨学金を差し引いた)授業料を納めるまでは身を引くことができた中、大学院を始める二ヶ月前にボストンポップスオーケストラに楽曲提供をし、そこでもまた同じような高揚感と力不足感を味わったことで、僕の運命は決まった。
かくして始まった大学院生生活。始めてみて思ったのは、「クラシック音楽は、(ジャズを含めた)ポピュラー音楽とは根本的に異なる。」ということだった。ジャズの歴史がせいぜい百年そこそこのものであるのに対し、クラシックは数百年。グレゴリオ聖歌やそれ以前の音楽などもカウントすると、実に千年以上に渡る音楽を相手にするのだから、歴史上の作曲家や楽曲を学んでいくだけでも想像を絶する量になる。また、ポピュラー音楽のミュージシャンたちの多くがある程度の年(十代か、場合によっては二十代)になってから本格的に音楽を始めているのに対し、クラシック音楽のミュージシャン達の大半は、遅くとも五、六歳になる前から英才教育を受けてきている。自ずと、良くも悪くも閉ざされた世界の中で生きて来た人が多く、そこには「独特の世界」が存在し、自由な空気の中で音楽をしてきた自分にとっては、びっくりするようなことも多かった。
そんな「今まで知らなかった世界」である。大学院に入るまでの自分は、常に「なりたい自分」を意識し、計画を立て、それに向かって努力する、という道を歩んで来ていたが、大学院を始めてからは敢えて「なりたい自分」を描くことを(卒業するまでの間は)やめてみることにしてみた。なぜなら、クラシック音楽とその世界について経験の浅い自分が脳ミソを振り絞って「なりたい自分」を描いたところで、学んでいくうちに想像していなかった音や世界、感情を経験し、「なりたい自分」が刻一刻と変化するであろうことが容易に想像できたからである。そう考えた僕は、これまでの歩き方を敢えて変え、自分の人生に「タイム」をかけてみたのである。その上で「卒業したらじっくりと考えてみよう。」と思った。そしていま、ようやくその時が来たワケだ。
二年半の大学院での勉強を終えたいま、「なりたい自分」は何ですか、と聞かれたら、拍子抜けるような答えかもしれないが、「別にない」というのが正直な答えである。そう思うようになったのは、大学院とはまったく関係のないことだが、実は隣の家に住む家族の影響が大きい。一年半ほど前にいまの家に引っ越して来て以来、隣の家に住むアメリカ人のDさん夫妻とは、まるで家族のような付き合いをさせていただいている。ご主人は大工で、家の外にいることが多いためよく顔を合わせるし、奥さんもバークリーの近くの法律事務所で秘書として働いていることもあり、日頃からよく顔を合わせるのだが、クリスマスや感謝祭といった、通常なら家族オンリーのイベントからなんでもない夏の一日の夕ご飯まで、「ねえ、ちょっとご飯でもどうだい?」と言っては、家族ぐるみで誘ってくれるのだ。
旦那さんは五人兄弟の真ん中で、九十歳になるお母さんがいる。三十歳と二十三歳になるご夫妻のふたりの息子たちは、独立して近所に住んでいるものの、ふたりともよく実家に帰って来て、クリスマスや感謝祭はもちろん、ふだんの日でもガールフレンドを連れて来てみんなで食事をしたりしている。そんな彼らと家族のような付き合いをしているうちに、あることに気づいた。それは、家族の誰もが、(もちろん九十歳のおばあちゃんも含めて)ことあるごとに「I'm very lucky.(自分は本当に幸運だ。)」と言うのである。「自分はこんな素晴らしい母親がいて、いい兄弟たちに恵まれて、大変なことがあったりもしたけれど、こうして健康に生きている。自分はなんて幸運なんだ。」「家の息子たちはこうしてよく家に遊びに帰って来て、元気な顔を見せてくれる。自分はなんて幸せなんだ。」といった具合に、である。
彼らは別に億万長者なワケでも、社会的に大成功を納めてチヤホヤされている存在、というワケでもない。彼ら自身が言うように、「典型的な一般のアメリカ家庭」といえるだろう。奥さんは分からないが、少なくとも旦那さんと息子のひとりは(話の流れからすると)学歴的には高卒で、トロンボーンとサックスの違いをいつも本気で間違えるおトボケぶりだし、豪邸に住んでいる、というワケでもない彼らは、そんなこととは関係なしに本当に人望が厚く、毎年彼らの家で行われるクリスマスパーティーには、入れ替わり立ち代わり百人ぐらいの人々が訪れる。(毎回本当に足の踏み場がなくなるぐらい人で溢れるのだ。)
そんなDさん夫婦と日常的に接するにつれて、「ああ、こんなふうに生きていきたいなあ。人生ってこうあるべきだよなあ。」と身に染みて思うようになった。僕だってすべてがいつでも絶好調というワケもなく、貯金残高が困るぐらいあるわけでも、高級マンションに住んでいる訳でも、ブランド品に身を包んでいるわけでも、高い車を乗り回しているわけでもない。でも、好きな仕事をして生計を立て、素晴らしい妻にも恵まれ、離れてはいるものの家族とも仲良く連絡を取り合い、素晴らしい仲間たちと音楽を作り、楽しい友人たちに囲まれて暮らす自分は、本当に幸せだと思うし、それこそが「なりたい自分」なのではないか。そんなふうに思うようになったのである。
これまで何度も大きなステージに立って来たし、たくさんの人の前で演奏したり、たくさんの人に聞いてもらうための曲を書いたりもしてきた。ひとつひとつのその瞬間はとても幸せだし、達成感だってもちろん大きい。然るに、どんな大きなステージに立ってもそれは永遠ではないし、満足感だって一生続くものでもない。宴の終わりには、必ず日常があるのだ。そう、僕らのような、一見派手に見える仕事をしている人間にとっても、人生の大半を占めるのは何でもない日常なのだ。その日常をいかに幸せに生きるか。それこそが人生にとって一番大切なことであり、それをいま感じているように「心から幸せ」と思って生きる自分こそが、「なりたい自分」なのであり、それを前提とした日常の中で、「どんなことをやりたいのか。そしてそれをどう実現させていくのか。」ということを考えていけばいい。そんなふうに思っている。
大学院で学んだ知識や経験を通して、そしてバークリーで教鞭をとって来たこと(教えることは最大の学びである)によって、「出来ること」の幅はこの二年半で格段に広がった。「出来ること」が広がると、当然ながらやってみたいことも格段に広がる。やりたいことは山ほどあり、そのひとつひとつをここに書くことなど不可能だ。ただ、はっきりと分かっているのは、自分は曲を書くこと、そしてそれを提供するばかりではなく、自分も(演奏者、指揮者、プロデューサーといった役割で)表現する過程の一部分である、というやり方が一番性に合っているのだ、ということ。やはり自分は、ジャズを含めたポピュラー音楽が一番好きであり、でもそこにクラシック音楽の要素を混ぜて表現したものをより追求していきたい、ということ。そして、自分の原点はコーラスにあり、ジャズコーラスという自分の専門をより磨いて、より「ジャズコーラスといえばこの人」と言われるよう、より精進していきたい、ということ。それらの「やっていきたいこと」を、日常を楽しみながら、日常の中でじっくりと向き合って追求していく、というのが、これからの自分のスタイル、そして人生の歩き方なのだろう。いままである意味「ガツガツ」と突っ走ってきて、それはそれで間違っていなかったけれど、三十代も後半に差し掛かったいま、「ガツガツ」は(少なくともいまは)当分いいかな、と。デーンと構えてゆったりと攻めて行くのも、また面白いのではないか。「ガツガツ」から「デーン」への転換で、今まで見えなかった何かが、見えるかもしれない。そんな気がしている。
でもまずはしばらくの間、カラダとココロをじっくり休めてこの二年半の疲れを癒そうと思う。ゆっくりしながら、少しずつ、たくさんあるやりたいことをどうやって自分らしく実現させていくか、ということを考えていこう。2012年、楽しみな一年になりそうだ。