7年半後のステージ (09.21.2008)


先日、ボストンであった New York Voices (以下、NYVと表記)のライブに行ってきた。

ライブを見ながら強く感じたことがあったので、コラムを書こうと思ったのだが、ふと「ボストンに来たばかりの頃、NYVのライブに行ってコラムを書いたことがあったっけな」と思い出し、そのコラムを読んでみた。いまから7年半前のこと。せっかくなので、そのとき撮った写真に似せた写真を、今度は自分たちのライブ情報の載った小冊子を使って撮ってみたのが上の写真である。そのコラムについては、また後ほど触れることにする。

NYVを見たのはこれで3回目だったが、今回はあまり落ち着いて音楽を聴けなかった。演奏を聴いている間中、無性に腹が立ってきて仕方なかったからである。

何にそんなに腹が立ったのかというと、これはもう、ただ単に自分たちのふがいなさに対しての一言に尽きる。NYVは、グラミー賞も受賞しているし、結成20年を経てなお、1年中世界の各地をツアーして回っている。一方で我々は、2005年以来活動がいまひとつ停滞気味で、月に1、2回というライブのペースで、国外にも久しく行っていない。

では、サウンド面でそれだけ劣るのか、というと、正直なところ必ずしもそうではないようである。誤解されるとマズいので加えておくと、僕は彼らの音楽を愛しているし、とても尊敬している。でも、NYVとSyncopationの音楽的実力がどちらが上なのか、というと、客観的な意見を総合しても、既に比較すること自体が無意味な領域に来ていると思う。つまり、音楽的にはそれぞれ同じようなレベルにあるのだから、あとはそれぞれの個性の違いが人気につながってくる、という具合なのだ。

ただし、ふたつのグループには大きな違いがある。NYVが年に世界各地で100回を越えるステージをこなしながら20年も、しかもここ15年ぐらいはメンバーチェンジもなくやってきたのに対し、最近の我々は多くても年に15回から20回ぐらいのライブで、しかもその大半はニューイングランド地方に集中している。当然ながら、NYVのライブ慣れしたステージ上での振る舞いは、我々と比べると「ベテラン」の風格が漂って堂々たるものがある。しかし、それは経験が補っていくものだ。NYVのメンバーのひとりを学生時代から世話してきている僕の師匠のひとりは、何年か前にNYVの話になったときに「NYVのステージプレゼンスは、それはひどいものだったんだよ。」と言っていた。何度もライブをこなしていくうちに、お互いの出方が自然と飲み込めるようになり、少しずつ落ち着いたステージさばきができるようになってきたのだろう。

我々の日本限定アルバムのプロデューサーでもあり、自身のアルバムにNYVをフィーチャーしたこともあるカルロス菅野さんは、かつてふたつのグループを比べて、「ステージ上の勢いはSyncopationのほうが圧倒的にある。でも、NYVには大人が落ち着いて聴けるような安心感がある。Syncopationには、いまの勢いの良さを失わずに、そういった安心感のあるステージを出来るようになってほしい、と思うなあ。」とおっしゃっていた。それ以来、安心感のあるステージとはどんなものだろう、ということを常に考えてきたが、この夜のNYVも、まさにそんなステージだった。大人がワイングラスを片手に楽しむジャズハーモニー。決して鳥肌が立つほど興奮する、というわけではないけれど、ライブが終わったあとにはキモチよさが残る。そんなステージだ。

我々は、NYVではない。あくまでSyncopationというグループであり、目指しているものは彼らとはまた違う。編成だけ見てもいくつか異なる点がある。たとえば、彼らの場合は、4人が歌いつつもテナーのダーモンがサックスを吹き、またベースを歌うピーターがピアノを何曲か弾く。それに対し、我々の場合は4人が4人、それぞれ歌と管楽器の両方を担当している。また、我々にはひとり非アメリカ人(僕です)がいて、年齢層もNYVよりはだいぶ若い。そんなふうに、彼らとはまた違ったグループであるSyncopationを通して、僕はどう表現していきたいかというと、やはり安心感を持ってもらいつつも、でも同時に、興奮して鳥肌が立ったりもするようなドキドキ感やエンターテイメント性を発揮していたい、と思っている。

話を元に戻すと、いろいろ考えていたら「実力的にそれほど大きな差はない、といわれているのにも関わらず、一方で世界中をツアーし、一方でローカルに留まっているのは、ひとえに自分たちの意識が甘いからではないか」という結論に達し、ライブ中、その事実に対して腹が立って仕方がなかった。そして、NYVの演奏を聴きながら、「明日のSyncopationのリハのときに、どんな大演説をぶちまけたろか」ということばかり考えていた。この苛立ちを共有し、今一度、皆の意識が同じところに(「On the Same Page」に)あるか、ということを、メンバー全員に確認しなくては、NYVのような頻度で世界中をライブして回るような状況には、いつまで経っても辿り着けるわけがない、と強く思った。

我々は、4人が4人、異なった素晴らしい才能の持ち主だと思う。それぞれが音楽家としてしっかりひとり立ちして生きていけるし、実際そうしている。そして、我々は良く好んで「忙しい」という言葉(僕はとてもキライな言葉なのでよほど忙しくない限り決して使いません)を嬉々として使い、自分がいかに「各方面から求められた存在」であるかということに誇りを持っているかのようだ。

それが、落とし穴になってはいまいか。

僕は、日本を離れてアメリカでグループを作ろうと思った大きな理由のひとつが、当時の日本では「コーラスグループの人たちは、個が弱く、独り立ちできない人が集まっている」ことが大半だったからだった。たいていグループの中にひとりかふたり、素晴らしい才能の持ち主がいて、あとのメンバーはその才能に引っ張られて成り立っている。いまの状況はだいぶ変ってきているのかもしれないが、僕が日本で活動していた頃は、まだそんな感じだった。だから、アメリカでグループを組むにあたっては、個々がそれぞれしっかりと独立してやっていけるような人材を集めて、グループにしようと思った。強い個を持った4人が集まったグループは、弱い4つの個が集まったグループより圧倒的に力があるからである。

ただそこでネックなのは、それぞれが他にもいろいろ活動できる才能があるために、「別にグループがうまくいかなかったとしても食べてもいけるし音楽もしていける」という逃げ道が常に存在してしまうことだ。

NYVライブ翌日のリハで、僕はそのことを正直に言った。要約すると、こんな感じである。

「みんなにそれぞれ才能があるのは良くわかる。そして、それぞれ外で活動して行けるのも良くわかる。でも、それが逃げ道になっていると、僕は思う。それだけの才能が集まったグループが、グループに向けて全員がもっとコミットすることによって開ける道を、僕は見たい。いまは、Syncopation以外のところで基本的な収入を稼いで生活を回して、Syncopationでの収入はプラスの収入、という構造になっているけれど、本来は逆になるべきだ。Syncopationだけでちゃんと暮らしていけるようにしたうえで、他の仕事でプラスアルファを作る、という状況に、したいと思わないか?そのために、いまいちど皆が皆、同じ方向を向いてどっぷりコミットしてみないか?」

正直なところ、やや怖さはあった。バークリー音楽大学という名門で教えて、安定収入があり、家族を養っている人に対し、不安定な収入を基礎収入にしろ、なんて言っても「そんなのは無理だ」と言われるんじゃないか、と。ただ、その一方で、いつまでもそれを恐れて、「On the Same Page」に立っているようでいて立っていないような曖昧な状況を続けていても、何も前には進まないのではないか、と思った。だからこそ、「大演説」をぶちまけたのである。

結果は、吉と出たようだった。みな、僕の言っていることに耳を傾け、同意し、「勇気とやる気をありがとう」という声が全員から帰って来た。

我々アーティストは、サラリーマンではない。会社が行く先を決めてくれるわけでもなければ、黙っていても上から仕事が降ってくる訳ではない。なりたい自分は自分で描き、そこに辿り着くための道筋も、自分で考えて描いていかなくてはならないのだ。だからこそ、しっかりとしたセルフイメージと、そこに辿り着くための地図をしっかり描けないと、決して大きくはなっていけないし、辿り着きたいところにも辿り着けはしない。

僕には、辿り着きたいところはいつでもしっかりとあった。でも、グループとして、それを全員とすべてを共有していく自信がなかったのかもしれないな、と、今になってみると思う。だから、自分の中にある「他の才能」を開拓し、「オレはこんなことも出来るんだぞ。Syncopation がなくたって生きて行けるし、面白いことが出来るんだぞ」ということを、他のメンバーに対して意識してぶつけていたようなところがあった。それは、僕に限らず、すべてのメンバーにとっても、大なり小なり、似たような状況だったと思う。でも、「大演説」をぶちまけたあとに、クリスティーンがこんなことを言ってくれて、僕は心から嬉しかったし、このグループはやっぱり大きなポテンシャルがある、と再び確信できるようになった。

「私はね、この夏に考えたの。この夏、自分のためのレコーディングを何曲かやってみたり、それに絡んでいろんなことをやってみたわ。でも、いろいろやってみて思ったのは、何をやってもSyncopation の持つ魅力や面白さには決してかなわない、ということだった。Syncopation は、才能ある4人が集まっているからこそ、相乗効果で個ではなし得ない素晴らしいことが出来る。私は、それが大好きなんだ、ということがこの夏を通して良くわかったの。」

「だからあんたの言ってることは良くわかる。長年一緒にやってきたけれど、いまほど on the same page に立っているな、と思ったことは過去になかったわ。あんたの言うように、がむしゃらにがんばってみようよ。」

 

 

2001年に書いたコラムには、こんなことが綴ってあった。

で、ライブ。もうすごいのなんのって。ハーモニーからステージプレゼンスから、そしてひとりひとりの技量。なにひとつとっても、やはり世界で第一線をいってるグループだけある。

「いったいどうやってこのグループを超えるグループを作れってんだ!!!」

と思ってしまうのも無理はない。(中略) 道のりは遠いけど、絶対に負けないもんねー!

 

あの頃、「いったいどうやってこのグループを越えるグループを作れってんだ」と言って途方に暮れていた自分は、もう遥か過去の中で、いまは同じ土俵の上に並べて心底悔しい思いをしている自分がいる。NYVのライブが終わったあと、友人でもあるNYVのメンバーのキムに、こんなことを話した。

「今日は本当にありがとう。今日はたくさんのことを考えさせられました。2001年にね、僕はまさにこの場所に来てNYVを聴いたんだ。そのときのことを強烈に思い出しちゃった。そのときはショックを受けて、僕はNYVなんて遥か彼方の存在だと思ってました。でも時を越えて今、こうして Syncopation もNYVと同じジャズクラブで演奏するようになったり(この日NYVが演奏したジャズクラブで、今月末 Syncopation がライブをします。ちなみにここでライブをするのは2回目。)キムとは一緒に仕事をしたりと、まったく違うところまで来たんだなあ、とつくづく思ったんだ。我々はいまこそ、NYVみたいに、いろんなところでいろんな人に聴いてもらえるようになるために、モウレツに頑張らないといけないな、と、今日のキムたちを見ていて思ったんです。」

キムはぎゅっと抱きしめてくれた後に、こんなふうに言ってくれた。

「あなたは本当に成長したわ。音楽家としてだけじゃなくて、人間としても、すごく変わってきたのが分かる。いい方向にね。今夜は来てくれて、本当にありがとう。会えてすごく嬉しかった。」

 

 

アメリカはいま、金融恐慌の様相を見せはじめ、何十兆円というお金のことがニュースになっている。そこに出て来る会社のCEOや役員たちは、豪邸に住んで何億ドルという年収を得て来た人たちだった。世の中にはいろんな業界があるけれど、お金を動かして富を築いていくような仕事に関しては、僕はまったく興味が持てなかった。だからなおさら、大学時代に「世界を変える」とか言って大きな夢を語っていた仲間たちが、就職時には手のひらを返したようにそういう金融業界に入って行く姿を見て、僕はそのギャップに違和感を拭えなかった。

正直なところ、20代の頃にはそういった友人たちに対してコンプレックスがあった時期もあった。不安定な生活と収入。少なくとも「あの頃」の仲間たちと同じかそれ以上に頑張っていても、一方でお金を動かして1000万円を優に越える年収を稼ぎ出し、一方で、やっと貯めたなけなしのお金を学費に費やして貯金通帳が空っぽな状態からスタートした自分がいた。

1997年に山一証券が破産したとき、僕はミュージシャンとして食っていこう、と心に決めた。あの山一証券が潰れるんだから、人生何があるかわからない。会社に入ったところで、自分のやりたいことが出来るわけでもなければ安定するわけでもない。ならば、本当にやりたいことを追求してみよう・・・。

そのときは、「つねはエラいな。」と言う一方で「そんなこと言っても、カネにならないでしょ。」とか「夢もいいけど、安定しないのはねえ。結婚して家も欲しいし。」といった声がチラチラと聞こえていた。そういう声の出所だった人たちが、金融恐慌の様相を見せ始めて潰れていった会社に勤めていたりするのだから、世の中ホント何があるかわからない。僕がずっと違和感を感じていた、一斉を風靡した「時価会計至上主義」の形骸化がはっきりしてきて、お金を転がして巨額の富を築いて来た会社が潰れてくのを見ていると、あのときの考え方は間違っていなかった、ということを改めて思わされる。

僕が尊敬している、ある日本人ベンチャーキャピタリストの方は、「アメリカのCEOとかって、一般社員の400倍ぐらいもらっているんです。でも、お金って、ホントにそんなに必要だと思いますか?意味ないですよね、そんなに持ってても。もちろん、まったく持ってなかったら困るけれど、ある一定以上を越えて持っている必要なんてない。」というようなことを言っていた。僕は、一家の主、あるいは、一家の共同経営者として、最低限必要な分はしっかり稼いで行かなくてはいけないと思っている。でも、それ以上のラインとなると、はっきりいって興味がない。人生はいくら稼いだか、では決してない。どれだけ面白いことをしたのか、なのだと、僕は思う。

「面白い」と思うこと、というのは、人それぞれ違う。ある人は宝石づくりが面白いと思うだろうし、ある人は開発途上国で人のために尽くすことが面白い、と思うだろう。またある人は、うまいメシを作ることが面白い、と思うだろうし、ある人は政治家になって世の中を住みやすくしていくことが面白い、と思うかもしれない。僕にとって面白いことはいろいろあるけれど、やはり究極的には、アーティストであることが面白いんだと思う。アーティストとして、自分にしか作れないモノを作り出して、人と感動を分かち合っていくこと。これが面白くてたまらないのだ。そんなことに気づいてから、20代の頃にあった「金融業界の友人たち」へのコンプレックスは、こっぱ微塵に消え去ってしまった。だって、オレの人生、サイコーに面白いんだもん(笑)。

 

アーティストとして、自分にしか作り出せないものはたくさんあるし、楽しいと思う興味の幅も、比較的広いほうだ。曲を書く、というだけでも、シンガーソングライター系のものから、インストもの、コーラスグループ、ビッグバンド、ストリングス、フルオケなどなど、「書く」ということに関してはそれなりに幅が利くようになり、自由度も増した。プロデュース業も好きだし、たまに教えたりするのもまた好きだ。なんだかんだいって演奏することも楽しいし、演奏するといっても、歌やピアノだけでなく、最近はSyncopationでトロンボーンを吹いているので、それもまた楽しくなってきた。

そんなふうに、いろんなことをやっていると、ともすると軸がブレているんじゃないの、なんて言われたりもしたし、数年前までの自分は、上に書いたように Syncopation に対するコミットメントの度合いに自信が持ちきれない間、いろんなことを試しているうちに軸がブレかけていたところもあった。でも、いまはそんな外野の声も気にならないぐらい、軸足がしっかりしてきたと思う。

10年の間構想を温めていたフルオケのコンサートを終えて自分のキャリアがひと段落したあと、僕は「これから時間をかけて、今後の自分のキャリアについて考えよう」と決めた。「忙しい忙しい」と言って毎日過ごしていたら、人生なんてあっという間に終わってしまう。たまにはこうして、一定期間立ち止まって考えてみないと、「いい地図」は描けないのだ。8月の大半を「考える」ということに費やした後、考えたからこそNYVのライブを見て得られた刺激。そして、その刺激から得た憤りを、皆としっかり共有できたいま、僕は胸を張っていえる。Syncopationこそが、自分の音楽なんだ。Syncopation を通して、世界中にもっとファンを作っていこう。そして、その上でこそ、「あの Syncopation のつねさんに、曲を書いてもらいたい。」「あのSyncopation のつねさんにプロデュースしてもらいたい。」というふうに、もっともっと思ってもらえるようになろう。それは、「あの曲を書いてくれたつねさん、Syncopationってグループやってるんだって」というのとはまったく違う。ここ数年の状況は善くも悪くもそんな感じだったけれど、またここでそれを逆転させたい。

秋の訪れと共にふつふつと湧いて来た戦闘意識を、まずは月末のライブにぶつけてみようと思う。大きな地図の出だしはいつでも、まず小さな(でも大切な)一歩からはじまるのだ。アメリカに来たばかりの頃、「いつかはオレもこのステージで歌いたい。歌うぞ!」と思っていた、あのジャズクラブでふたたび、これまでで最高と言えるようなステージをたくさんのみなさんに届けるその日が、いまからとっても楽しみでしかたない。

 

コラムトップへ戻る