こだわり (08.23.2008)


秋野豊メモリアルコンサートにて
photo taken by Ikki Yamaguchi

芸術家の仕事は、「こだわる」ことだ。普通の人が「こんなことどうでもええやん」と思うようなひとつひとつのことにこだわり抜いた結果が、作品として結実するのだ。

一般社会では、皆、どこまで「こだわって」仕事に取り組んでいるものなのだろうか。10年前にこの仕事を選んだとき、僕は「こだわる」ということについて考え抜いた。仕事というものは、人生の相当多くの時間を割くものであることはいうまでもない。いわゆる「9時ー5時」で働くにしても1日8時間。週末にはきっちり休んだとしても、1週間168時間あるうちの40時間は仕事に使っていることになる。しかも、1日6時間は寝るとすると実質4分の1(1週間合計で42時間)は「使えない時間」なわけだから、差し引き126時間のうちの40時間、つまり「使える時間」の最低でも3分の1は仕事のために時間を使うことになるわけだ。しかも実際は、残業やら通勤時間やらで、さらに多くの時間を費やすわけだから、「使える時間」の半分以上は仕事、という人も相当数いるはずである。

これはすさまじい量の時間だと思いませんか?

「ハイ、思います。」というのが、10年前の自分の答えだった。ならば、その「人生の大半を費やしていく時間」を最大限有効に使うためにはどんな職業を選ぶべきだろうか、と考えたら、一番妥協出来ないもの、つまりこだわりのあるものを選ぶべきだと思った。それが僕にとって、「曲を書く」という行為だったのだ。

 

先日、いまプロデュースしている、とあるアーティストのマスタリングセッションでスタジオに缶詰になっていた日、エンジニアと「こだわり」について話をした。

スタジオワークは、「こんな細かいこと、どうでもいいのに」と思われるようなことの連続だ。録りの段階もそうだが、特に音を編集していく作業であるミックスダウン(日本ではトラックダウンともいう)やマスタリングセッションでは、素人の方々には信じられないような細かいことにこだわってセッションを進めていく。

プロデューサーとして常に気をつけるようにしていることのひとつは、この「細かいことへのこだわり」が過剰になり、全体像が見えなくならないようにすることだ。「こだわり」は、「こだわりのためのこだわり」であってはいけない。あくまでひとつひとつのこだわりは、全体のサウンドが耳に心地よく響くかどうか、という判断に基づいて、こだわるべきところとこだわらずに進んでいくべきところを線引きしなくてはいけないのだが、これがまた難しい。何しろ、レコーディングは予算と時間との闘いでもある。決められた予算と時間内で仕上げるためには、こだわりたいことすべてにこだわっていてはいつまで経っても終わらないだろう。だからこそ、始める前のプランニングと、そしていざセッションが始まった後は常にやって来る状況判断に際し、的確な指示を出す能力が求められてくるのだ。

ただし、ここでくせ者になってくるのが、この「予算」と「時間」である。自分に豊富な予算と時間があり、いくらでもこだわっていい状況を作り出せるのであれば、こだわりたいだけこだわってセッションを進められるかもしれない。でもたいていのレコーディングセッションでは、そんな贅沢はあり得ないものだ。プロデューサーとして、スタジオに入るはるか前に、アーティストや出資者、レコード会社といった人々と、適切な予算とスケジューリングを組み立ていくのも、我々プロデューサーの仕事なのである。

しかしここにはいつも大きな葛藤がつきまとう。僕は、芸術家であり、またプロデューサーでもある。芸術家としての僕は、常に予算や時間に縛られることなく、ただただ「いいもの」を作るために行動したいという願望でいっぱいだ。はたまたプロデューサーとしての僕は、「おいおい、予算と時間のことをしっかり考えて、その範囲内でベストを尽くそうぜ」ということを常に考えている。

こういった両者のせめぎ合いを一般常識でジャッジすると、プロデューサーはエラい、芸術家はわがままだ、ということになる。

僕の場合、プロデュースも創作活動も両方する人間だが、基本的には他のアーティストの仕事をしているときは前者、自分のレコーディングをするときは後者として仕事をすることになる。それ故に両者の気持ちがよく分かってしまうので、だからこそいい仕事ができるのだとは思う。ただ、プロデュサーとしての仕事経験をとおして、いろいろと予算や時間、はたまた人間関係などの裏事情を把握できてしまうため、いざ自分の作品、となると、芸術家としてのわがままにプロデューサーの常識感が茶々を入れ、至るところで葛藤を覚えるのも事実だ。

 

つねはわがままだ。

 

ものづくりにこだわっていく過程で、そんなことを何度か聞いた。僕は決して強い人間ではないので、それに対して裏では相当落ち込んだりもした。

でも、先日スタジオで話したマスタリングエンジニアと話をしていて、何かが見えた気がした。彼は言う。「こだわる」ことの、何が悪いんだ、と。「こだわる」ことをやめなきゃいけないぐらいなら、僕はこの仕事をやめて別の仕事をするだろう、と。そうだ。こだわることをやめたら、僕が芸術家である意味なんてなくなってしまうのだ。

たいていの場合、芸術家のこだわりというものは、ひとつひとつを細かくあげて説明していったら「どうでもいいこと」のように思えるかもしれないし、一般の人にはなかなか分かってもらえるものでもない。でも、その「どうでもいいこと」に見えるようなことの積み重ねこそが、実は本当に大事なことなのだ。その積み重ねこそが、最終的な作品の美しさに結実していくのだ。それは、魂の積み重ね、といってもいいかもしれない。ひとつひとつのことに、「まあ、このヘンでいいだろう」と妥協し、その妥協を積み重ねていったものは、最終的な作品になっても妥協の産物にしかならない。芸術の神様は、魂の有無に対してとても正直な反応をしてくる。一般社会ではそれが十分に「製品」として成り立つかもしれない。でも芸術作品はそうではない。こだわりにこだわり抜いたうえで初めて、スタートラインに立てるものなのだ。

社会に出て、10年が経った。いま同年代の人たちと話していると、そこまでの「こだわり」を持って仕事をしている人はあまりいないんだな、ということを実感してちょっぴり切ない思いもする。でも、仕方のないことなのかもしれない。仕事の種類の違いもあるけれど、それ以上に、「こだわる」ことには難しさや苦しさが伴ってくるからだ。こだわることは、苦しい。同じ世界の人でなければ説明することも難しい。それ故になかなか理解してもらえなかったり、自分勝手だと思われたりするようなことも、特に横並び意識が強い日本なんかでは多々ある。

僕はミュージシャンとして仕事をしているものの、ミュージシャンの友人よりも音楽とは関係のない分野の友人のほうが多く、幸運なことに、様々な分野の第一線で活躍している人たちに出会う機会にも恵まれている。そういう第一線で活躍している人たちは、質こそやや違うものの、ほとんど例外無くこういった「こだわり」をきちんと持ち続けているのを感じる。そういう人たちとは、ジャンルが異なっても話題に事欠かないし、話を聞いていて学ぶべきことがたくさんある。

10年前にこの職業を選んだとき、一番こだわりの持てそうな道を選んだ、ということは先に書いた。一番興味の持てることだからこそ、一番こだわる。こだわることを積み重ねていくからこそ、いつの間にかよりいいものが出来るようになっていく。だから、スタートした時点では国際関係の分野が自分にとっては一番長けていた分野だったけれど、長い目で見たら音楽がそれを追い越すんじゃないか、と思ったのだ。当然ながらそこまでのビジョンまでは見えない周りの友人や家族の一部なんかは、当時の僕の選択を「もったいない」と思ったそうだが、実際10年が経ってみて、やっとそうした人々にも「なるほどな」と思ってもらえるようになったし、自分自身も「追い越せたかな」という実感がある。

幼少の頃から音楽をしてきた人の多いこの業界で、レッスンなど受けたことのないまま大学生になってからこの道にのめり込んだ僕は、スタート地点が遅いほうだ。作曲らしきことをし始めたのも大学に入ってからだし、初めてきちんとライブで演奏できる程度のレベルのものを書けたのも、まだ10年前ぐらいのことだ。そんな僕が、いつも間にかボーカルアンサンブルのジャンルではアメリカでベストアレンジャーに選ばれるようになったり、ビッグバンドはもちろんのこと、先日はオーケストラの作品を12曲(うち2曲は共作)を書き上げたり、そんなところまで来れたのは、10年間、コツコツと「一見どうでもいいようなこと」にこだわり続けたきたからにほかならない。

とはいえ、こだわってきたことは何の自慢にもならない。どんなにこだわってきたことを通して出来上がった作品でも、人の心にしっかりと届かなければ、こだわりは自己満足の域を得る事はないだろう。それができるかどうかが、プロとアマの違いなのだ。

 

去る7月19日。10年前に亡くなった秋野豊先生への「心の中の約束」であり、また僕にとって初めてのフルオーケストラのコンサートとなった「秋野豊メモリアルコンサート」が行われた。秋野氏の生き様を曲にしていくのは、スケールが大きく、また秋野氏への思い入れの強い「秋野ファン」がたくさんいる状況の中では、大きなプレッシャーであった。でもそのプレッシャーへのチャレンジが、やる気をかき立てた。

ただ単にオーケストレーションを研究し、書き上げていくだけでなく、秋野氏にゆかりのある方々からたくさんの話を聞き、秋野氏が好んだ本をむさぼり読み、秋野氏が好きだった音楽を何度も聴き、秋野豊という人はどういう人だったのか、考えに考え抜いた。それを、音にした。

2時間で消えてなくなる音に、「こだわりました」とか「がんばりました」とか、そんな説明は全く通用しない。そこにあるのは、「心に残る音があるか否か」という一点だけなのだ。それがプロの音楽家が常に直面している日常なのだから。

そんなふうにこだわって生きて来た人たちが何十人も集まって音を紡ぐことこそが、オーケストラの醍醐味なのだ、ということを今回のコンサートを通して知った。何十パートにも渡るパート数のひとつひとつに思いを込めて書き、それをそれぞれのパートの人が、何十年間とこだわって練習して来た技術と感性で演奏し、それをこだわって研究してきた指揮者がまとめあげていく。それによって、ひとりひとりでは成し得ない大きなうねりが生まれる。それは、とてつもないパワーだと思った。

今回は特に、ジャズ的な要素とクラシック的な要素の混ざった内容だったので、演奏家にしてもクラシック畑の演奏家とジャズ/ポップス畑の演奏家が混じっていた。それ故の難しさもあったけれど、それ故に生まれる化学反応も面白かった。

初めてのフルオケコンサートでありながら、「がんばったで賞」的なコンサートではなく人々の心に訴えるようなものが本当に出来るのだろうか、というプレッシャーは相当あったが、嬉しいことに杞憂に終わったようだった。演奏が終わった後に頂いた拍手は、これまで経験して来た1000回ぐらいに及ぶステージの中でも、一番心に残る拍手だった。

しかし、「こだわり屋さん」の芸術家の悲しい性なのだが、達成感に浸れたのはほんのひとときのこと。次の瞬間には既にひとり反省会が始まり、「何が機能して何が機能しなかったのか」、「より良いものを作るにはどうしたらいいか」といったことについて分析をしている。そして次のステージではより良いステージになるように、研究と練習を再開した。こうしたエンドレスな追求の旅はおそらく死ぬまで続くのだろうけれど、コツコツとそう進んでいくうちに、少しずつ大きくなっていければいい。もともと「遅咲き」タイプなんだから、60歳を過ぎてから最高傑作が生まれるような人生を目指してこだわり続けていけばいいのだと思っている。60歳を過ぎてから、カーテンコールのあとに「こんな拍手はもらったことがない」なんて言えるジジイになれたら、そんな痛快な人生はないだろう。

こんな「芸術家のわがまま」につきあわされつつも、たくさんの時間と労力を注いでコンサートの実現に関わってくださったすべてのみなさん(特に実行委員会事務局長!)、僕からの一方的な「約束」をどこかからそっと面白そうに見守ってくれていた秋野先生、10年の間僕の音楽を聴いてきてくださったファンのみなさん、そしていろんな局面において精神的にもほかにもたくさんの面でも支えてきてくれた妻、母、姉には心から御礼を言いたい。10年でここまで来たけれど、次の10年は、もっと楽しみにしていてくださいね。誰になんと言われようと、「こだわり」を捨てずに、これからも生きていこうと思っています。

 

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