「ミュージシャン人生第二段階」へ (03.27.2008)


「蛇頭竜尾」を弾く
photo taken by Kazuma Nomura

小さい頃は、それなりに目立ちたがり屋だった。学級委員はもちろんのこと、生徒会長まで務めたし、注目を浴びたい一心で、ウケを狙いのいたずらをするのが好きな子供だったようだ。

そんな傾向が、20代半ばぐらいまでは続いたように思う。グループで歌っていても、「どうやったら目立つかなあ」という意識がけっこうな割合であったはず。そんな僕が、いつの間にか目立つことを控えるようになったから不思議だ。代わりにどうなったのかというと、ほかの誰かを目立たせることに力を注ぐようになったのだ。

ここ1、2年の間、僕は仕事の内容を、演奏に重点を当てていた頃のスタンスから、作編曲やプロデュースといった「創る」系の作業へと重点を意識的にシフトしてきた。前にもどこかで書いたような気がするけれど、「音楽の仕事」といってもたくさんの仕事内容がある中で、そういった「創る」系の仕事が僕にとって一番喜びの大きい仕事だということに気づいたからである。

ところで、今年の1月中旬から2中旬にかけて、相当クレイジーな日々が続いた。振り返ってみたら、「いったいどうやって乗り切ったんだろう」と不思議に思ってしまうのだが、ひと月ぐらいの間に、Syncopationを含めると実に全く異なる8つのプロジェクトを抱え、それぞれにライブがあったのだ。しかもそのどれもが、いわゆる「サイドマン」として関わっているのではなく、けっこうどっぷり関わっているものだったりするからシャレにならない忙しさだった。

こんなことは滅多にあるものじゃないし、普段ならおそらく何かを断って絞り込むんだろうけれど、今回はちょっと特別だった。というのもその中のひとつが、自分が音楽の道に入るきっかけになったアメリカのア・カペラグループ「VOX ONE」から、代理のベースシンガーとしてステージで歌う、という依頼だったからだ。またその数週間後には、VOX ONEとSyncopationが一緒に、オーケストラをバックに演奏するという大きなステージもあった。そんな機会を「忙しいから」なんて理由で断るバカはいない。1月中旬に日本で大きなライブを抱えていたので、それが終わるまではアメリカに帰ってからの演奏の準備に注げた時間はゼロだし、ボストンの家に帰ってからライブまでが10日ぐらいしかなかったにも関わらず、楽譜を見たのは帰りの飛行機の中が初めて、なんて有様だった。もちろんライブは暗譜で歌わなければならないわけだから、相当無謀なことをしたような気がします、ハイ。

おかげさまで、代理メンバーとして歌ったVOX ONEのステージは盛況に終わった。何より嬉しかったのは、メンバーたちから「めちゃめちゃ歌いやすかったー!もう何年も一緒に歌ってるような感じで、まったく違和感がなかったよ!」と賞賛され、心から感謝されたこと。大学時代には「雲の上の存在」だった人たちといつか同じステージに立って、そのグループの(代理とはいえ)一員として歌い、感謝される日が来るなんて、夢にも思わなかった。VOX ONEとSyncopationの共演も、クリスティーンが直前でひどい風邪を引き本番に出られないという大アクシデントがあったものの、大きなホールにも関わらずほぼ満席に埋まった観客の方たちはとっても喜んでくれたようだった。そしてそのふたつのライブの間には、Syncopationで普段とはちょっと異なった編成(ピアノと我々のみだけれど、そこに全員の管楽器と僕のパーカッションもフィーチャーする、という形)でのライブがあり、「大丈夫かなあ」という一抹の不安に反して大盛況で、スタンディングオベーションの拍手が鳴り止まなかった。

この3つのライブ、そしてアメリカに戻ってくる前の大きなソロライブ(「作曲家つね」を前面に押し出した、弦楽四重奏をフィーチャーしたライブでした)を終えてみて、僕は何か肩の力がふっと抜けた気がした。なんだか、自分のミュージシャンとしてのキャリアがひと段落し、ちょっと休憩を挟んで次のステージが待っている。そんな気がしたのだ。

この仕事をし始めて、この5月で10年目に突入する。これまでの9年間、なんだかんだと「一生懸命」前に進んできたと思う。それは間違いではなかったと心から思えるし、だからこそ上に書いたような「この仕事を始めた頃には想像もつかなかった」ようなことが起こったりもしたのだろう。

ただそのうえで、これからは「一生懸命」というところよりはもうちょっと力を抜いて歩いていきたいな、という気がしている。欲というものは尽きないもので、ひとつ達成したらまた次のレベルのものが達成したくなる。だからどんなに「昔では想像もつかなかったこと」なんかを達成しても、次の瞬間には満足感からは完全に解放され、一段上の満足感を求めて走り出す自分がいつもいる。それが向上心というものだ。

ただ今回の「ひと段落」を機にいままでの歩みをふと振り返ってみて、「何が何でも到達しなくてはならなかったところ」は通り過ぎたんだな、と思った。決して夢がなくなったわけでも目標がなくなったわけでもない。うまく説明しろと言われると難しいのだが、つまりこんなことなんじゃないかと思う。

僕は23歳の春、周囲の大反対を押し切ってミュージシャンという職業を選んだ。そして25歳になった秋に、メンバーや事務所から大反対されながらグループを辞め、紆余曲折を経て音楽留学のために渡米した。

そのふたつの「大反対」を経た僕は、たぶん自分では気づかないうちに「○○ぐらいのことは達成しないと、大反対された人たちを見返せない。(だから何としてでも達成しなくては!)」というような、意地みたいなものを背負うようになっていたんだと思う。それが強いハングリー精神になり、これまでの自分を押し進めてきた部分は、多分にあると思う。でも、そういった意地やプライドを背負った自分は、もうとっくの昔に捨ててよかったんだよ、っていうことに気づいた。そういうことなのだ。当時心の底にあったであろう「見返したるでー」という気持ちに応えるぐらいのことはもう十分に達成してきたと思うし、なにより、時間も経ち自分自身随分と「大人」になった。前に進むということは、意地と闘い続けることではなく、自分自身としっかり向き合い続けることなのだと、より確かに気づくようになった。

だからこれからは、ミュージシャンとしてある意味「第二の人生」を歩くような気分でいる。人生そのものをもっと楽しむことを大切にしながら、その「楽しいエキス」をさらりと音楽に注入していきたい。

僕は孤高の芸術というものを創っていくタイプのミュージシャンではない。かといって、完全に「聴く人に合わせた」ものを産み出そうとするミュージシャンでもない。僕は常に、その中間やや前者よりぐらいのスタンスで音楽を創っているミュージシャンだと(少なくとも現時点では)思っている。どんなに優れた作品も、ごく一部の評論家やマニアの人にしか理解されない音楽は、少なくとも僕の創りたいものではない。けれど、迎合することを前提に創るというのも、僕の音楽ではない。もっともっと勉強して「自分の音」というものを掘り下げ、何より自分が興奮出来る音楽を、もっともっと高いレベルで作る・・・。音楽を創るときに基本かつ一番大切な軸足はそこに置きつつ、そのうえでその「自分が興奮出来る音楽」を「では、それをほかの人にも興奮してもらえるにはどうしたらいいんだろう?」という視点とバランスよく混ぜながら創る。それが僕のスタンスだと思っている。それを、意地やプライドを糧に創るのではなく、もっと自分自身がゆとりを持って楽しみながら創ることによって、リスナーのみなさんにゆったりと興奮の両方をしっかり届けられるようなサウンドやステージを作って行くこと。それが「ひと段落」を終えた次のステップで大切にしていきたい視点だ。

冒頭に書いたように「目立ちたがり屋さん」から「ほかの誰かを目立たせたい屋さん」になってきたいま、そんな「ゆとり感」がより多くの状況で求められている。そして自分のバンドを通しても、そんな「ゆとり感」が自分の中に宿っていくことによって、本当に創りたかったものや本当に主張したかったことが、正面切ってものを言っていた頃よりもはるかに創りやすくなり、また意見そのものも通しやすくなってきていると思う。

こんなふうに仕事のスタンスを移行して来ている昨今だけれど、僕は自分自身がステージに立つ事は辞めないつもりだ。いいプロデュースワークやいい楽曲作りをしていくためは、自分自身が現役ミュージシャンとして成長し続け、いいものを作り続けていないといけない、というのは僕の基本的なスタンスだが、ステージに立つことも純粋に楽しいのだ。「ミュージシャン人生第二段階」に入ったいま、そんな「楽しさ」を、水面下の「厳しさ」とともに、肩の力を抜いてより深く追求していけたら、と思っている。

 

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