On The Same Page (11.13.2007)

Live Performance at Ryles Jazz Club
photo taken by Miho Taniguchi
英語の表現で、「on the same page」ということばがある。直訳すると「同じページ」。もっとベタに訳すと「同じ土俵」、さらに強調すると「一枚岩」といった意味になるこのことばを、僕は最近よく使っている。「We are on the same page」、つまり「我々は同じ土俵に立っているんだ。」「オレたち一枚岩だぜ」といった具合で。
Syncopationをはじめたのが2002年の2月。それからもうそろそろ6年、そして今年の1月にメンバーチェンジをしていまのラインアップが揃ってから、もうそろそろ1年が経とうとしている。結成以来2枚のCDをリリースし、そのうちの1枚はメジャーレーベルから出すことができた。「アメリカでバンドを結成して日本に連れていきたい」という渡米前の夢も叶い、日本へも何回もツアーに行けたうえ、想像もしていなかったような音楽祭やクラブなんかにも出演することが出来た。冷静に振り返ってみても、出来過ぎなぐらいいろんなことを達成してこれたようにも思う。
でも、ひとつのことを達成すればまた次の目標が出来ていくのが人生というものである。いろんなことを達成するごとにさらに高い目標を掲げ、それに向かって邁進して来たにも関わらず、2005年の夏ぐらいを境にバンドとしては下降線を辿って停滞してきていたことは前にも書いた。そして、メンバーチェンジを乗り越え、やっと活動が再軌道に乗って来たことも、コラムを通して書いて来た。
前の大きなメンバーチェンジのときもそうだったが、メンバーチェンジをしてから暫くの間は、なかなか前と同じクオリティのステージをすることはできない。ボーカルグループというのは通常のバンドと違い、かなり細かいハーモニーのラインがあるし、人が入れ替わることによる影響が大きく、グループ全体が新しい空気に慣れて力を発揮できるまでにかなりの時間を要するのだ。
そんな中、9月のはじめにメーン州であったライブで、このメンバーになってはじめてのスタンディングオベーションを受けた。ニューイングランド地方を拠点に活動するボーカルグループが3組集まって行われたこのライブ。Syncopationは大トリを務めさせていただき、この日一番の、鳴り止まない拍手をもらった。そしてこの日同じステージに立っていた、1990年代から活動を続けているプロのア・カペラグループのメンバーたちからも、ライブ後に大興奮な様子で「いかにSyncopationが素晴らしかったか」ということを止まることなく語られながら、僕はこのメンバーになって初めて「前の自分たちをようやく越えることができたかもしれない」と感じていた。
いいバンドを作るということと、そのバンドが有名になるということは、決してイコールではない。Syncopationは決して完璧なバンドではないにしてもかなりいいバンドだと思うし、それは自己満足な評価ではなく周りからの評価を総合してみても間違いではないと思う。けれど「知られていない」ということがいかに歯がゆいことか、僕はこの数年で辛酸をなめ尽くして来た。「有名じゃないから」という理由で断られたイベントもいくつもあるし、「まだあまり売れていないから」という理由で「あなたの作っているものは人の心に訴えることはできない」なんてことを平気で言われたりもした。僕は、決して「有名になりたいから」という動機で音楽の仕事をはじめたわけではない。いいとか悪いとかではなく、ただ単に「それが好きだった」から、より音楽にどっぷり浸かりたくなり、仕事として音楽をすることにしたのだ。だから、好きな音楽をしながら食べてさえいければ、別に有名になるかどうかなんてあまり大した問題ではないと、長い間思って来た。
でも、上に書いたような苦い思いを続けていくうちに、「クソっ、いまに見ておれ」という思いがマグマのように溜まり、いつしか「やはり本当にやりたいことを実現していくためには、もっと名前が通っていないといろいろと難しいんだ」ということをはっきりと自覚するようになった。
メーン州のライブを経て新生 Syncopation に新たな希望を見いだし、「このバンドをこのままの知名度で終わらせたくない」という思いがことさらに強くなった僕は、いろいろな人に「いまの自分に何が足りないのか」「いまのSyncopationに何が足りないのか」ということを相談し、しばらくの間いまの自分やこのバンドについて考え抜いた。そんな中で気づいていったのが、これまで Syncopation のメンバー全員が本当の意味で「on the same page」に立てていたことが、実はなかったんだ、ということだった。
2005年の夏、東京での公演を連日超満員にし、盛り上がるステージとお客さんを見て、共演していたカルロス菅野さんが事務所の方に「このバンドは(かなりのところまで)いけるよ」と言っているのを聞いて光栄に思いながら、その一方で僕は、このバンドが崩れかけていく空気を肌で感じていた。結成して3年半が経っていたあの頃。それまでバンドのキャリアとしては、3年半で2枚のアルバム、4回の日本ツアー、有名どころのジャズフェスティバルにも出演とかなり順調に行っていたにも関わらず、バンド全体が「on the same page」に立っていた感覚はまだ一度も持てていなかった。自分が「これをするためにアメリカに来たんだ」という思いを抱いていても、他のメンバーたちはアメリカで生まれ育ち、そして僕に出会うまでは世界に通用するボーカルグループを作りたいなんて、夢にも思わなかったはずだ。才能豊かな彼らをどこまで束縛していいのか、毎週しっかりリハをしてサウンドを創り上げ、いろんな土地に行って演奏してていきたい僕と、リハは本番前に何回かすればいい、と思ったり「ツアーにはあまり出たくない」と思ったりしている一部のメンバーとの間には大きな差があり、それぞれ異なるスタンスでSyncopationのメンバーを続けている、僕を含めたひとりひとりのメンバーの間の「妥協点」を、リーダーとしていつもハラハラしながら探してきていたと思う。
そんな調子だから、あるところまでは行き着けてもそれ以上に飛躍などできるはずがない。飛躍したいと全力を尽くしてもなかなか出来ないものなのに、飛躍しようと全力を尽くす姿勢が欠けてはそれ以前の問題だ。「on the same page」に立てなかった僕らは、そんなふうにして行き詰まっていったんだと思う。
新しいメンバー構成になって、まずはステージを新たに創り上げて行くことに無我夢中で没頭して来たはじめの半年。その期間は、ある意味ただただ音楽面に没頭していればよかった。しかしそれなりに形が出来てきたいま、それだけではいけないと思いはじめた。僕の本質は、あくまでミュージシャンである。けれど、バンドリーダーとしてバンドをまとめていくには、ミュージシャンとして優れているだけでなく、大きな視点でビジョンを持ち、それを常に共有しようとする努力を怠ってはいけない。そして、ビジネスについても、しっかり分かっていなくてはいけない。
目下の課題として、新しいメンバー構成になってからのCDがないのは、ライブをしていても大きな痛手だった。音源がないとプロモーターにも売り込めないし、報酬はなくてもいいからプロモーションになるような類いのライブをしたとしても、売るものがなければ文字通り収入はゼロだ。そんなことばかり続けていては、プロフェッショナルなバンドとして長続きするわけがない。そのことに対するメンバーたちの危機感がどう考えても甘く、CD制作を夏に始めたにもかかわらず「少しずつ仕上げていって、バンド費がたまっていったら仕上がっていればいいよね」なんて空気が流れていた中、僕は一念奮起してみんなにプレゼンテーションをしてみることにした。
まるでビジネスマンのようにエクセルを駆使してCD制作に対する現状分析のチャートを作り、なぜ、そしていつまでにCDが必要か、そしてそのプロジェクトを完遂するためにはどんなタイムスケジュールで動く必要があり、どんなタイミングでどんなお金が必要なのか、ということをミーティングで必死に説明した。そしてそのお金をしかるべきときまでに集めるために、どのようなアプローチが可能か、僕自身のアイディアと共にみんなから何かアイディアがあるかどうか、何でもいいからどんどん出してもらった。
その日を境に、バンドの空気が変わったと思う。
ミーティングは大成功に終わり、皆の目つきが変わった。現状認識がメンバーひとりひとりの間にしっかりと共有され、何をしなくてはいけないのか、ということに共通認識が生まれたのだ。
そしてそれから数日後。メンバーのひとりが大きな出資先を見つけて来て、僕にエクセルファイルを送った上で先方に電話を入れるように伝えて来た。なにより嬉しかったのは、それが一番新しいメンバーであり、まだ一番若いオーブリーから来た言葉だったことだ。後から入って来て、かつ一番若い彼女は、これまでの我々の活動はすべてが新しいことばかりで、追いついていくのに必死だったことだろう。これまではどんな決断でも、あとの3人が言ったことを「それがいい」と言って追認するような形で、自らが進んで何か行動を起こすようなことはあまりなかった。しかしあのミーティングを境に、彼女も完全にほかのメンバーと「同じ土俵」に立ち、すべてのメンバーが「このバンドをなんとしてでも有名にするんだ」という共通の認識を持って同じ方向に進むようになったと思う。バンドというものは、構成員全員のベクトルが揃ったとき、思わぬ力を発揮するものだ。コツコツと積み上げていく努力を怠らず、その一方で波が着たときに跳躍出来る瞬発力も併せ持てるような準備を怠らない。僕はミュージシャンとしてそんな人生を歩んで来たし、このバンドでもそんな姿勢をバンドとして共有したいと思って来た。それが、いまやっと、メンバー全員と「on the same page」で共有できるようになったのだ。
いまなら、はっきりといえる。「We are on the same page」なんだ、と。
出資先から承認が下り、無事レコーディングを終えられる見通しが立ったいま、僕らは3月のアルバムリリースに向けて最後のレコーディング作業に力を注いでいるところだ。10月には待望のライブビデオの撮影も行い、自らを売り込んで行くツールがやっと揃って来た。まだまだ足りないピースはたくさんある。そのひとつひとつを、諦めずに拾い続け、焦らず、でもちょっとだけ早足で、気合いを入れて進んで行こうと思っている。アメリカでは実に5年ぶりの、通算しても3年半ぶりのアルバムは、そんな思いがいっぱいに詰まって、春が来る頃にはみなさんのところに届けられる予定です。