期が熟すということ (12.30.2006)


photo taken by Tsunenori "Lee" Abe

 

 12月だというのにまだ雪らしい雪が降っていなかったボストンにもようやく「ちゃんとした」雪が降り、2006年も遂に終ろうとしている。既に日本は大晦日だが、こちらはまだ30日。2006年をあと1日残し、やっと重い腰をあげて半年以上ぶりとなるコラムを書くことにした。

 大学時代に影響を受けた先生のひとり、秋野豊先生は、僕が所属していた国際関係学類に毎年配布される「明日のエグゼ」という冊子に書かれる恒例の「ひと言」にある年、「このひと言が書けない」と記した。それが何年のものだったのかはっきりとは覚えてないし、本当のところ彼が何を意図していたのかは分からない。でも、今年の僕に当てはめていえば、僕はこのコラムが書けなかった。そしてそれが何故なのかを考えたときに、「チャレンジャーとしての熱い自分」に変化が生じて来ているのではないか、という推論に達し、ハッとした。

 このコラムを書き始めた2001年、僕はアメリカに活動の拠点を移し、生まれてはじめて学校で音楽教育を受け始めた。それは楽しみであると同時に大きなチャレンジであり、日本という国でプロのミュージシャンとしてメシを食っていたからといってこの国でも通用するなんて保証はどこにもない。まして僕のやっている分野は明らかに日米では力の差があり、「より高いレベルの国でのチャレンジ」は何から何まで学びの連続で、おのずとコラムを書く筆も決して止まることがなかったのである。

 それが、去年までひと月かふた月に一本は書いていたコラムが、パタッと書けなくなったのだ。

 書きたくても書けないことがいろいろとあったのは確かだ。ミュージシャンという職業は公共性のもった職業であり、そんな立場の人間が何かを書くことによる影響というのはごく一般の人が書くのとは違うものがある。ネットというのは怖いものでありどこで誰が見ているか分からないわけだから、「これは表現として許されるものだ」という線と「これは表現したくても自分の胸の内に秘めておくべきだ」という境界線は、必用以上に敏感になるのもムリはない。あまり背負うものがなかった渡米直後に比べて、仕事の量も質も変わって来た。それに伴い、背負うべき責任の増加が、「こういうことは書かない方がいいかもしれない」という判断に傾くことを増やしていたのは確かである。

 しかし、だ。それを考慮したうえでも、やはり2006年はどうも「攻めの自分」ではなかった気がしてならない。なんだかあまり物事がうまくいかず、かといって打開策もはっきりとは見えず、でもちゃっかり年齢は重ねてきているので、「いい加減こんなんじゃマズいんじゃないか?」というヘンな焦りがあったのかもしれない。

 でも、最近こんな気がしている。「いよいよ期が熟してきたんじゃないか」と。そんなふうに思っていたここ2、3ヶ月だったけれど、それを昨日がレコーディング最終日だった、ひまわりラヂオの3月発売のミニアルバム制作現場のスタジオで、はっきりと感じた。そしてそのとき「若さが重宝される音楽界では歳をとっていくのは怖いことかも」と思いかけていた最近の傾向から、「年齢を重ねるってオモロいかも」と、はっきりと思った。

 昨日この世に産まれた6曲入りのミニアルバム「オリオン座と初恋」は、ほんとうに、ほんとうにいい作品になった。これまでたくさんの作品を世に送り出してきたけれど、この作品はその中でも、いろんな意味で特に納得のいく出来になったと思う。ほんとうに、たくさんの人に聴いてほしいと心から思う。

 そんな作品に出来上がったのは、やはりいろんな意味で「期が熟してきた」からだろう。年を重ねて来たからこそ出来たことが、たくさんあった。これまでの8年弱に渡るミュージシャンとしてのキャリアの中で培ってきたもの。ソングライティング能力、演奏能力、アレンジ能力、プロデュース能力、そして人のつながりなど。そういった蓄積が、ひとつひとつのパズルが「ピタッ」と噛み合うように出来上がったこの作品に投影されている。収められた曲も、一番古いものではBaby Boo所属時代に歌っていたものもあれば、新しいものでは数週間前に書いたものもある。Baby Booに所属していた、23歳のときに出したくても出せなかった曲が、今だからもっと納得した形で世の中に出せる。そんな「初期の作品」が、「円熟して来た作風のもの」と重なり合い、ひとつのアルバムとして紡ぎあげることができた。

 実はこのアルバム、作ること自体を最終的に確定できたのは僕がアメリカに帰ってくるちょっと前、つまり今年の11月だった。その時点で候補にあがっていた曲は、決して悪いセレクションではなかったのだが、今回の日本滞在中に各方面から様々な得たフィードバックを基にもう一度考えてみると、確かにやや足りない面もあった。そしてそれを受けて心機一転、新曲を3曲書き、その中から2曲を収録曲に含めることにしたのである。結果としてこの2曲が、作品全体には絶対に欠かすことのできないようなものに仕上がり、全体のクオリティを当初の企画より一段階上のものへとあげる最大の要因になったと思う。

 フィードバックといえば、今回の滞在では大小のレコード会社をはじめ様々な「業界の人々」に意見をいただいたのだが、正直かなり悔しいことを言われたりもした。別に威張る訳ではないがこれまで8年間ミュージシャンをやってきて、ジャズではメジャーから、ポップスでもインディーズからちゃんとCDを出してきた。それは確かに、僕が何の見込みもないミュージシャンなら出来なかったことかもしれないけれど、そんな実績はしょせん名刺代わりでしかない。2004年にSyncopationがメジャーデビューしたとき、ずっとお世話になってきた神戸の行きつけの飯屋の親父さんに「やっとメジャーからCDを出せました」と報告したら「だから何だってんだ。そこまでは誰でも行けるんじゃ。」と言われ、「そうかもなあ。気を引き締めてがんばらな。」と思ったものだけれど、今回ほどそのことを痛感したことはなかった。

 そう、メジャーデビューする人なんて世の中にはたくさんいる。でも、その中で、第一線で活躍し続けられる人なんてごく一握りの人であり、たとえ一時期でも「売れっ子」になれる人ですら、ほんのわずかしかいない。そんな中で、別に大した枚数を売って来なかった僕の存在なんて、レコード会社から見たら虫けらみたいな存在なのだろう。これまでのミュージシャン人生の中で、自分の作って来た楽曲は日本でもアメリカでも、たくさんのファンの方々や共演してきたミュージシャンたちに支持されて来た。楽曲提供の仕事なんかも、少しずつではあるけれど増えて来ている。そのことが、アマチュアソングライターの自己満足とは一線を画した、職業作家としての自信につながっていた。でも結果として大した枚数を売って来なかった。結果がすべてであるこの業界。ほんと耳を覆いたくなるような曲でも売れればそれが「正しく」、どんなに「好き」と言ってくれる人たちがいても、売れなければそれは「正しくない」のだ。そんな態度でもって僕の楽曲の「足りないところ」を、今回の日本滞在中にいろいろと指摘された。そして、お世辞にも心を打つとはいえないようなCDを聴かされて「売れるためにはこういうことが大事なんです」と言われたりもした。

 僕は類い稀なる「反省家」だ。というのも、はっきりいって僕は大した才能のある人間ではなく、明らかに「天才」なんかではないからだ。特に音楽家としてそれはとても顕著であり、本当に人の何倍も努力しないと、一線で活躍する人たちと同じ土俵にすら立たせてもらえないのだ。まして音楽をはじめたのが遅い分、実際に花開くのだって人より遅いのも覚悟している。そんなバックグラウンドがあるから、とにかく自分に対する評価は、ときとして必用以上に厳しくなってしまう。自分がやってきていることに満足なんてほとんどできないし、こと自分のこととなるといつも欠点ばかりに目がいってしまう。その一方でまわりのミュージシャンたちを見ていると「すっげえ、こいつ」と思うようなのがゴロゴロいて、その人たちにだって足りない部分はあるのだろうけれど「すっげえ」ところに目がいってしまうので、自分との歴然とした差にかなり凹むこともしばしばだ。

 そんな中でも自分の楽曲制作能力にはかろうじて自信をもってやってきただけに、自分の楽曲をボロクソに言われて正直ショックだった。当然ながら、超反省モードの日々が続いた。2006年があまりうまくいっていた年でなかったことが、反省モードにさらに追い打ちをかけた。オレはいったい何をやってきたんだ!?そんな思いが、プライベートで大変な時期が重なっていたこともあり、かなり増幅してしばらくの間ものすごく悩んでしまった。

 救いだったのは、そんな「超反省モード」の僕を、メンバーやスタッフの人たちが、「いや、私はレコード会社の人のいうことは必ずしも正しくはないと思います。つねさんの曲は、本当に素敵だと思います。(だから我々もそれを演奏したりサポートしたりしてるんです。)」ってなことを次々と口にしてくれたことだ。そうかもな、反省するのもいいけれど、「ナニクソ!」と自信を持って叫んだっていいのかもしれない。そう思うと、ちょっと勇気が湧いて来たり。

 だから勇気を持ってはっきり言うと、レコード会社で働く人たちは、別に曲を書ける訳じゃないのだ。地味に毎日キーボードや机に向かいながら格闘したり、ときとして浮かばない歌詞を浮かばせるために夜中の街を夢遊病者のように徘徊したり、しているわけじゃないのだ。高いお金を積んでわざわざ学校に行ったりレッスンを受けにいったりしているわけじゃないのだ。何年もコツコツと楽器が演奏できるように練習してきたわけじゃないのだ。会社という後ろ盾がなかったら、やっていけないような人たちだってたくさんいるのだ。てやんでえ、ナニクソ。イマニミテオレ!

 同じことを、たとえば坂本龍一さんや小田和正さんに言われたら、あるいは松本隆さんや谷川俊太郎さんに言われたら、僕は土下座して「あいすいません。アタクシはお尻の青いサルでございます。」とケツをまくることだろう。でも、レコード会社の人にボロクソに言われたからって、必用以上に気にすることはないのだ。結局のところ、ある程度のレベル以上になったら、曲がいいか悪いかなんて、所詮主観的な問題なのだ。

 とはいえ、100%「ナニクソ君」にはなれないのが僕の性分。「でもやっぱり反省すべきところはしなきゃな」ってんで、いろいろ言われたことを基に自分の曲をもう一度分析してみて、自分なりにいくつかの結論にたどり着き、その改善点を加えたものを、アメリカに帰ってから堰を切ったように書き始めた。そうして出来たのが、今回のアルバムに入っているはじめの2曲だ。このコラムを読むみなさんが3月になってCDを手にしたとき、ここに書いてあることの意味が、ほんのちょっとだけでいいから分かってもらえたらいいな、と思う。

 

 期が熟した、と書いたが、2007年は本当にエキサイティングな年になりそうだ。そんな「エキサイティング」なひとつひとつのことはこれからのコラムなどを通してこのサイトでも徐々に発表していく予定だが、まずひとつ書くと、今回のアルバム発売を機に自主レーベルを作ろうと思っている。自分の関わっているバンドの作品だけでなく、今後長い目で見て、自分がプロデューサーとして本当に手がけたいアーティストたちを通して「良質な音楽」を追求して多くのリスナーたちに届けられたらいいな、と思っている。

 「売れる」ということは、とても大切なことである。でもその一方で、「売れる」ということに捕われすぎるのはとても危険なことだ。包み隠さずいえば、僕は音楽で稼いだお金で土地を買って家やスタジオを建てたいと思っている。好きな国を好きなように旅行したいと思っている。つまり、ちゃんと「売れたい」と思っている。「売れなくてもいいからいい音楽を追究して好きな音楽を作ります。タダでもいいから聞きに来てください。」なんて、間違っても思わない。ボランティアで音楽をやっているわけじゃないのだ。八百屋さんが野菜を売ってお金をもらうように、公務員が国に奉仕する対価としてお金をもらうように、企業コンサルがコンサル料として報酬をもらうように、僕は音楽を作ってきちんとその労力に(もっと)見合ったお金を得たいと思っているし、そのことでちゃんとした財を成したいとも思っている。でも、だからといって僕は「売れるための音楽はこういう音楽だ。だからこういう音楽を書きましょう。」というのは何かが違うと思う。自分が本当に心に響くと思ったものを追求して書き、それをライブを通して人々に届け続けながら、お客さんから直でくる感想を肌できちんと感じながら、セレクトしたり軌道修正したりして、本当に自分が心から信じきれるものを世の中に送り出して行くことが、何より大切なのではないか。

 そのためには、「信じきれるもの」を作るための妥協は絶対にしない。そのための努力は絶対に惜しまない。そしてそれが出来上がったら、「このいい商品を売るためにはどうしたらいいのだろう」ということを、妥協せずに考えて行動する。これまで作家として、演奏家として、この最後の点だけはどうしても会社に頼らざるを得ない部分が多かったけれど、自主レーベルを持つことによって、このあたりのことについてより深く考えて行けたら、と思っている。

 世の中のほとんどの人たちが、自分が作ったものではない、あるいは自分が心からいいと思ってるわけではない商品を会社のために「営業」してまわったり作らされたりしなければならない中、こんなふうに自らの手でゼロからの「モノづくり」をしそれを売ることができるというのは、なんて幸せなことだろう、と思う。いい音楽だからといって必ずしも売れるわけではないけれど、いい音楽というのはやはり売れるべきなのだ。ほかの商品と違って目に見えなかったり絶対的な価値が見えにくいだけに、売れるか売れないかということがいろんなファクターによって左右されてしまうけれど、いい音楽をしっかり追求し続け、それをより多くの人たちに届けるような努力を惜しまなければ、必ず道は開けてくると信じている。

 今回出来上がった作品には、僕なりに「良質のポップとは何か」ということを追求し続けた結果が凝縮されている。すばらしいメンバーたちと、すばらしいミュージシャンたちによって支えられながら完成し、自信を持って届けるこの作品が、ひとりでも多くの人の心を揺さぶってほしいと、願ってやまない。

 

 

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