トップランナーであること (5.24.2006)

photo taken by Tsunenori "Lee" Abe
「昼の部」とはいえ、ニューヨークのブルーノートに出演することが出来、数々の巨人たちが演奏して来たあのステージの上で歌いながら、僕は「ひとつの区切り」を感じていた。このステージで4年近く一緒に活動してきたシンコペーションのメンバーがひとり辞め、翌々日からは早速新しいメンバーとのリハーサルが始まる、ということもその「感慨」の根底にはあったけれど、それと共に自分を震い立たせるような感情があった。なぜだか分からないけれど、今までやってきたことのひとつの区切りが、この日、ここにあったような気がしたのだ。誰もが来れる到達点ではないけれど、誰も来れないところではないところ。そんなところまで歩いて来たけれど、そこから先に僕は進めるのだろうか、という問いが、何度も頭の中を通過していく。
「勝ち組」「負け組」という言葉が使われるようになって久しい。むろん、アメリカに住んでいる僕にとっては、そんな言葉は日常的に聞いているわけではないし、ネットで読む日本関連の記事や友人たちの言葉を通して聞くのがほとんどだ。それを考慮に入れても僕の耳に入ってくるぐらいだから、日本ではよほど定着している言葉なのかもしれない。多様な価値観によって構成される社会を「勝ち」と「負け」で二分していまう危うさに、僕個人としてはどうも違和感を拭いきれないけれど。
僕らの年代は、そろそろ社会の中では「中堅どころ」と言われる世代で、この「勝ち組」「負け組」の分水点に立っているシチュエーションが多いようだ。新人でもなく、かといってベテランでもなく、発想も、格段新しいわけではないが古いわけでもないこの世代は、仕事の進め方も覚えているうえ体力もまだあるから、会社にとっても使い勝手がいいだろう。「働き盛り」と言われ馬車馬のように働く一方で、しかし我々の世代はこれまでの生き方を「これでいいのか?」と振り返り始めてもいる。
そんな中、10代や20代の前半に抱いていた、あたかも無限に広がっているような自分の可能性に対する一種の「憧れ」のようなものは、僕らの世代の中ではずいぶんとフェードアウトしてきているように思う。なんでもできると信じていた学生時代。日が昇る時間まで酒を飲みながら現代社会の問題点についてアツく語り、「オレは迎合したくない」「オレはこう変えて行きたい」と言っていた僕らは、いつしか社会にもまれ自分の無力さを思い知り、いつの間にか自分の可能性に見切りをつけてしまっているのだろうか。
国際関係学を専攻していた学生時代、僕はミュージシャンという道を選ぶことを心に決め、「世界一のボーカルグループを作りたい」という野心を抱いて、のちにアメリカに渡った。アメリカでも有数といわれる音大で、学内の数々の名誉あるステージに上がり、学外のイベントにも大学の代表として何度も派遣された。目標であった「世界に通用するボーカルグループ」も、どこまで通用しているかはさておいたとしてもとりあえず作ることができ、大きなステージやCDの発売、それらの実績の高い評価などを通して、普通にしていたらなかなか辿り着けないところまでは辿り着けたような気がする。
しかし、そこから先が問題だ。僕は、いったいそこから先の境地まで行けるのだろうか?
既に「中堅どころ」と言われはじめている世代だ。しかも音楽業界は特に、若ければ若いほどもてはやされる傾向にある。「若くして○○と共演」「若干○歳でレコードデビュー」などと、同じ才能があるなら若い方が重宝される。その一方で、若ければたとえば大きな失敗をしたり調子が悪くてヘボい演奏をしたとしても、「まだ若いし、がんばれ!」などと暖かい目で見てもらえることがあるけれど、中堅どころになりつつある僕らの世代は「若いしねえ」じゃ許されない。失敗したら2度目はないのだ。
そんな中、ひとり、またひとりと、音楽の道に見切りをつけていく。そしてそれは音楽に限らずどの分野にもいえることだろう。何か大きな夢を抱き、それに向かって頑張り、その夢がなかなか叶わない中で、家庭を持つようになるといつまでも夢を追いかけてなどいられなくなる。だから夢を諦める。
そんな挫折を、学生時代だったら「なんだあいつ、諦めちゃって」と醒めた目で見ていたかもしれない。でも、いまならその無念さと苦悩がよくわかる。「一番になりたい」なんていっても、所詮一番になれるのはひとりだけ。いい高校、いい大学、いい就職先を目指してきても、その会社の中で役員クラスになれるのはほんの一握り。すべての人が「勝ち続ける」ことなんてできないし、会社に尽くして「オレは誰よりも会社に貢献している」と思っても、恣意的な人事によって希望とはかけ離れた部署に飛ばされることなど、日常茶飯事だ。
そうやって僕らは、無限だと思っていた自分の可能性に疑問を持ち始め、残りの人生の設計図を修正し、30年ローンを組んでそれを完済することが人生の目標になっていく。
僕は幸いにも20代で、通常ではなかなかできないような実績を上げてこれた。しかし、この先この業界で、第一線で生き残って行くというのは容易なことではない。これまで、音楽といってもいろいろなことをしてきた。白いスーツを着て踊りながら歌うようなステージもしてきたし、ピアノとのデュオや、ソロヴォーカリストとしての活動、ジャズボーカルグループのバンドリーダー、ワークショップやレッスンなど教える仕事もあったし、プロデュースや楽曲提供等の仕事もしてきた。そのどれもが興味深いもので、たくさんの発見があった。一通りいろんなことをしてみて考えてみると、同じ音楽の中でも自分が得意なものとそうでないものがはっきりと見えてくる。そして、自分がまだ第一線で力を発揮できるもの、それは無理なもの、といった判別ができるようになってくる。
そう、僕の可能性は、有限なのだ。
こんな当たり前のことを、学生時代はほとんど考えたこともなかった。可能性が有限であること。それに気がつくことは、上を上を、と目指す人間にとっては大きな挫折感を伴うことだ。挫折感とまではいわなくても、大きな屈辱感は、少なからず伴う。「オレはこんなもんじゃない」と思って歯を食いしばってきたのが、「オレはこんなものなのか」となる。これはとんでもなく大きな、内面的変化だ。
そこで自分の可能性に見切りをつけることを責めることなど、誰にもできない。それはそれで、ひとつの清い人生の在り方だ。一方で僕は、有限の可能性というものに対してゆっくり時間をかけて考えた結果、そのその対策としてふたつの処方箋をほどこすことにしている。
ひとつは、音楽というジャンルの中でも自分が一番可能性を感じられるものに活動内容をなるべく特化し、そこに集中的にエネルギーを注ぐこと。そしてもうひとつは、その部分に対する「有限」な可能性の幅を広げていく努力を、これまで以上に怠らないことだ。
何かに集中するということは、何かを諦めることでもある。音楽というジャンルの中で、ある部分では第一線でやっていくことを諦める代わりに、集中すべき部分では可能性を広げる努力をこれまで以上に続ける。時間は有限ではなく、これからいつかは自分も家庭を持っていくだろうし、そうなったら使える時間だって独身時代の気ままな生活とは変わってくるだろう。だからこそ、これからは活動内容をそれなりに特化して、自分がトップランナーであり続けたい部分をしっかり伸ばしていく代わりに、諦める部分は諦めなくてはいけないと思っている。
そのことに気がつき始めたのは1、2年前だ。そして、それを自分の中で清く認め、割り切るまでにさらなる時間を要した。でもいま僕は、自分に何ができて何ができないかをかなりクリアに分かって、しっかりと認めているつもりだ。
それらが何なのかは自分が分かっていればいいことなので敢えてここでは書かないけれど、これからの僕の活動を通し、10年後ぐらい後にまだ僕がミュージシャンとしての活動を続けていけているとすると、そのとき「あのとき、つねが言いたかったことはこういうことだったのかもな」と思ってもらえるような気がしている。