新たなる挑戦 (2.05.2006)

photo taken by Miho Taniguchi
「2006年の抱負」。年の始めに強く書きたいことがあったのだけど、このひと月ライブや作編曲の〆切に追われたりと、なかなか書く時間が取れずにいたら遂に2月になってしまった。まだ〆切をかなり抱えているのだが、そんなことをしていたら3月になってしまう。強く感じた思いが、強いままで書き記せないかもしれない。だから夜中12時をまわり、明日までに仕上げる〆切を抱えている今夜、それでも僕はこのコラムを書こうと思う。
2005年は、ミュージシャンとしてご飯を食べ始めて7年目になる僕にとって、これまでで最も辛い一年だった。いろいろなことが上手くいかずに膠着状態が続き、一時はアメリカを離れて日本に帰ろうかと思ったこともあった。人生の幸せはキャリアを追求することだけではない。幸せの形はたくさんあるし、キャリアに対する思いはもう押さえてもっと個人的な幸せを追求しようかと思ったりしたこともあった。
20代は、体力的にも精神的にも「ただただひた走ること」に耐えられる年代だ。でも、その走り方のまま一生走ることなんて誰もできない。体にも心にもどこかで必ず無理が来るし、少しずつ軌道修正していかないといけないものなのだ。これまでミュージシャンとして仕事をしてきて、僕はほかのたくさんの人たちが夢見ても出来ないようなことをたくさん実現してきたと思う。日本でもアメリカでもCDや出版物を出したり、一流のライブ会場でライブをしたり、グラミー賞にノミネートされるような人と共演したり、大きなジャズフェスティバルに出演して高い評価を得たり・・・。フルタイムのミュージシャンとして生活していく、ということですらやりたくても出来ない人のほうが圧倒的に多い中、僕はなんてラッキーなんだろう、とは思う。
しかし、である。
人間は欲深いものなのか。僕はそれらのことに「満足」したことはただの一度もなかった気がする。もちろん嬉しかったことはたくさんあるし、上に書いたようなことをはじめとする数々の素晴らしい活動については、誇りにも思っている。でも、僕の性格は過去に固執したり過去の栄光にすがったりすることを許さないのだ。僕にとって一番の関心ごとは、過去にどんなことをしたかではなく、未来に何か起こるかもしれない、ということでもなく、いまこの瞬間面白いものを生み出せているかどうか、ということなのだ。
世間や音楽のことなんてあまりよく分かっていなかった20代前半。僕は「知らないが故の強さ」をたくさん持っていたと思う。「世界一のグループを作りたい」「グラミー賞もとってみたい」。そんな夢を持って海を渡り、グループを作り、日本でもアメリカでもそれなりの評価を得た。でも、「一流」と「超一流」の間にある壁のあまりの高さに気づいたとき、自分が、そして自分の作ったグループが、まだまだ自分では「一流だ」とすら胸を張って言えない現状に途方に暮れてしまったのだ。その壁の高さと怖さを知らないからこそ大口も叩けたし、思い切りの良さもあった。でも怖さを知り、超えられない壁が「いつか超えられる壁」ではなくひょっとしたら本当に超えられない壁なんじゃないか、と悟り出したことで、僕は精神的に行き詰まってしまい、思い切りの良さもなくなってしまったのだ。
「若くてエネルギーにあふれた世代」と「超一流のおじさま世代」の間に挟まって、「自分はこのままでいいのか!?」という悩みにハマっていたのかもしれない。失敗なんていくらでも許された時代は過ぎ、仕事で求められる最低線のラインもどんどん上がって行って、失敗したら仕事は来なくなる。お客さんも、良くない演奏をしたら「まだまだ若いんだし、これからに期待!」なんては言ってくれなくなる。悪い演奏をしたり期待通りの作品を書けなかったりしたら、期待値うんぬんではもう済まされない。もう2度とライブになんて来てくれないだろうし、もう仕事なんて頼んではくれない。つまりは、生活も出来なくなる。会社に守られている訳ではなくフリーランスで仕事をしている人間にとって、この「潜在的浮き沈み」のプレッシャーと常にひとり闘いながら異国で暮らすのは、実は簡単なことではないのネ、と今更ながらに気づいたりして。「あー、結婚してえー、独身、つれーよ。」と弱気になってみたり。
ソロのCDが出たり初の編曲集が出たり、大きなジャズフェスに出たり一流ジャズクラブに出演したり・・・。一見派手に見えた2005年はそんな悩みを抱えて、ガン細胞が転移していくように心を蝕んでいた気がする。そんな病を治したいと思い、僕はこの秋から年末にかけて散々いろんなことを考え、それをいろんな人に相談してみたりして状況を打破しよう、とキバってみた。そしていま、その答えがようやく出た。これから自分が何をどういうふうに、そしてどこを軸に動いて行くのかも、かなり明確に見えてきたと思う。それは、こんなことである。
僕の一番のプライオリティは、自分の一番の強みである(と自分でも思うし、まわりの評価もそこにある)「楽曲の良さ」を、考えられる中で一番クオリティの高いものを用いて演奏し、届けていくことなんじゃないか、と思うのだ。僕にとっていま、それはいまやっているグループであり、たとえそれがまだまだ自分の納得いくレベルにはないとしても、それを常に改良する努力を怠らず、それを通して自分の楽曲を届け続けることは、自分にとって長い目で見てすごく大切なことなんじゃないかと思うのだ。諦めるのは容易いけれど、もう一度一から創るのは本当に大変だ。だから、自分が産み出したこのグループを、「あいつは大口タタキだ」と言われようがなんだろうがやはり「超一流」と言われるぐらいのものにするために、もう一度がむしゃらになってみようと思う。アメリカに渡ったときの原点を思い出して、やれる限りのことをすべてやってみようと思う。まだまだ僕は「やれることはすべてやった」とはいえない。「力を出し尽くした」とはいえない。もっともっと自分の力を広げ、それを出し尽くすまでやってみよう。それが、2006年の強い抱負のひとつだ。
自分の楽曲を届ける手段は、いまのグループだけではない。あまり積極的ではなかったソロ活動も、2004年末ぐらいから自分をプッシュして本格的にするようになった。慣れないピアノを人前で弾き始め、弾き語りライブを始めたころに来てくださったお客さんにはずいぶん「ありゃりゃ」と思われたと思う。でも、先日の「石楠花の花の咲く頃」発売記念ツアーでたくさんの場所で素晴らしいミュージシャンたちと演奏し、ツアーファイナルのライブでは「あ、けっこう面白いものが産まれて来たかも!」と思えるようになった。正直なところこれまでソロライブに関しては「ねえねえ、ライブ来てよ!」と胸を張っては言えなかった部分もあったのだが、やっと「よう、おもろいから来ぃやー」と言えるようになった。グループでの活動に対して一番のエネルギーを注ぐことは確かだが、ソロの活動もこれまでどおりマイペースに、でも着実にしっかり続けていきたいと思う。
また、2005年の後半あたりから僕は「ほかのアーティストへの楽曲提供」をどんどんしていきたい、と思うようになった。これまではアレンジを提供することはあっても、曲や詞を提供したことはほとんどなかった。自分の書きたい楽曲は、いろいろな形態、いろいろなジャンルに渡っている。なかには、自分のグループやソロではできないものや、ほかの人が演奏したほうが引き立つものもたくさんある。僕は、演奏家としての活動はしっかり続けていきたいし決してやめることはないけれど、自分の楽曲を必ずしも自分が演奏しなくちゃならない、なんてふうには思っていない。自分の楽曲が一番素敵な形で届くように、ということをいつも考えている。だから、自分のイマジネーションが自分のグループやソロを超えるところにあるときは、進んで他の誰かに演奏してもらおうと思う。2006年には、自分が他のアーティストに書いた楽曲が、はじめてCDとして発売されることになっている。こういった活動を、もっともっと増やしていけたらいいな、と思うし、そのためにいろんなアプローチをしていきたい。
他のアーティスト、と書いたが、2005年はずいぶんとインストの曲も書いた。大半は、とりあえず自分がピアノで弾く曲として書いたが、その先にはオーケストラという編成が視野に入っているし、ただのピアノ曲、というのではなく、オーケストラで演奏することを前提にピアノで書いたりしていることも多い。少しずつオーケストラについても勉強し、2008年を目指しているミニ・オーケストラでの追悼コンサートに向けて、曲を書いていきたい。
また、こうしたインストものへの曲を増やし、今年はいよいよ「映像に音をつける」という活動をしていきたい。その活動も既に少しずつ見えていて、自宅である程度のことができる環境も整いつつある。先日、自分で撮影した簡単な映像に即興でピアノとナレーションをつけてみたのだが、簡単な映像とはいえ「他ジャンルとのコラボレーション」から強いインスピレーションを受けて「何かが産まれそうな予感」をビシバシ感じた。そこから感じた「あ、これ、オレに向いてる」という直感を大切に、映像音楽家としての活動も、今年を皮切りにいろいろと模索してみようと思っている。
グループを軸に動きつつ、ソロ、他アーティストへの楽曲提供、映像音楽を視野に入れたインスト曲の制作、という多岐に渡る活動を「あれもこれも手をつけていっぱいいっぱいになる」という感じではなく、「あ、つねのアタマの中にはいろんな世界があるんだね。おもしろーい。」と素直に受け入れてもらえるぐらい自然な形でできるようになっていけたら、理想型だ。そうやって著作物をコツコツと貯めていくことが大切だと思っている。尊敬する手塚治虫氏が毎年すごい数の著作物を残していっていつの間にか「神様」の域に達していたように、僕も、「神様」にはならずとも、そうやって著作物を増やしていき、より多くの人たちの耳と心に自分の曲が届けられるようにしていきたい。
オマケだが、今年はさらにちょいと新しいこともしてみようと思う。「podcasting」を通して、月2回ぐらいで自分の番組を配信してみようかと思うのだ。まだ日本では「podcasting」への法整備もちゃんとしていないし、どんな内容になるかは要検討だが、3月あたりを目処に「開局」できたら、と思っている。再び創造力と想像力が漲り出したクリエイター・つねの頭の中がどうなっているのか、つね自身の声を通して届けたいなあ。
そんなわけで2006年。僕はアメリカに渡ったときの原点に戻って、ちょいとキバってみようと思っている。30代の、数スッテプ上を目指した「新たな挑戦」。20代の頃のエネルギーと30代のしたたかさをうまく混じえて体現できるよう、精進を続ける日々は今日も続く