本当の挑戦 (04.16.2005)

竜安寺にて
photo taken by Tsunenori 'Lee' Abe
このところ改めて黒澤明監督の映画をむさぼるように観ていて、その凄さに強いインスピレーションを受けている。
ことの発端は、あるレコーディングの仕事で最近週に二度ぐらいのペースで訪れているConcordという町を通る、一時間に一本しかない不便な電車だった。レコーディングを終えて時計を見ると、次の電車まではあと五十分。駅まで歩いても十分程度。仕方なく町をぶらぶらしていたら、改装のため長い間閉館していた図書館が再開していて、ふと立ち寄るとその図書館はDVDのコレクションが充実していることが分かった。
よく使うボストン市内の図書館は、書棚に並んでいるDVDやビデオといえば、よほど古い映画かドキュメンタリーぐらいに限定されているのだが、この町の図書館は様子が違った。古いものは1900年代前半のものから、新しいものは昨年発売されたものまで、ビデオレンタル店並みに、とまではいかないが豊富な数のコレクションが揃っていた。しかもビデオレンタル店とは違い、売れる売れないに限らず、文化的にすぐれた作品を進んでコレクションに加えている。海外のすぐれた作品よりも、「分かりやすい」ハリウッド映画ばかりがもてはやされる米国映画市場。小手先を変えても、正直なところどの映画を見ても同じだよなあ、と思ってしまう僕みたいなひねくれ者にとって、こういう図書館のコレクションを発見したことは願ったり叶ったり。ついつい仕事をさぼってDVDを見てしまう日が続いてしまうのも、仕方ないっちゃあ仕方ない。(でも念のため自己弁護をすると、こうしてDVDを観たりするのも僕にとっては勉強でもあったりするんですよー。ミュージシャンばんざーい。えへへ。)
もともと夜型人間で夜中まで仕事をしていることも多いのに、さらにその後DVDを観始めたりするわけだから、観終えた頃にはすっかり日が昇っている、なんて日も少なからずあったりして。これはさすがに体調にも仕事の進行上も良くないから最近は気をつけてはいるものの、気づいたらもう丑三つ時、なんてことはざらだ。
僕はもともと、和洋中その他問わず面白そうな映画は何でも観るのだが、学生時代に一度「やっぱ観ておくべきだよなあ」なんてミーハー(死語?)な動機で黒澤映画を何本か観て以来、黒澤映画からはしばらく遠ざかっていた。そんな中、思いがけず異国の地で発見した黒澤映画のDVDは、僕の注意を引くには充分すぎるほどの存在感があった。
そんなこんなでほかの映画をいくつか挟みつつ観た黒澤映画は、「羅生門」、「まあだだよ」、そして「乱」の三本。いやあ、三本ともそれぞれまったく別の系統の作品だったけれど、凄い映画でした。僕は映画の専門家ではないので映画批評家めいたことは言えないけれど、とにかく黒澤明という人の持つ幅の広さ、それから1950年代に撮った映画から1990年代に撮った映画にいたるまで、まったく色褪せることなく変わらない彼の「伝えたいこと」の鋭さや強さ、そしてそれを届けようとする確固たる姿勢には、ただただ敬服するばかりである。だいたい、「ラストサムライ」が絶賛されていたけれど、あれなんて「七人の侍」や「乱」の模倣ばかりなのに、でもその完成度たるや「乱」を観ちゃうともう観られないよなあ、って感じでした。あのリアリティはタダものじゃないですぜ、ほんと。ディーテイルが圧倒的に凄い。「ラストサムライ」のほうがカネはかかってるでしょうけど、比べ物にならない。
それと、とにかく「ハッピーエンド」しかあり得ないハリウッド映画と違って、黒澤映画は伝えるべきことを描く為にハッピーエンドが必要ならそれを使うし、ハッピーエンドが邪魔なら決して使わない。ハリウッド映画ほど儲けることはできなかったかもしれないが、彼は後世の映画監督たちに多大なる影響を及ぼし、いま彼の映画のリメイクが様々な映画監督たちによってなされようとしている。いいものは時代を超えていい。そのことを彼の映画ほど証明しているものは、ほかになかなか見当たらないのではないか。
このところ、僕はずっと「手詰まり感」を感じていた。デビューアルバムの作成に明け暮れ、昨年の終わり頃メジャーデビューをした。その熱も冷めやらぬまま、結局は実現しなかったチャリティプロジェクトに没頭し、気づいたらもうデビューから半年近く経っていた。
二月に仕事で訪れた神戸で、関西在住時代の行きつけのお店「味加味」にご飯を食べに行ってオヤジさんに挨拶をしたとき、「どうなんだ、最近は?」と聞かれた。僕は思わず、「年末に、とうとうメジャーからCDを出したんですよ」と答えたのだが、間髪入れずに、「そんなん聞いとうわけやない。そこまでは誰でもできるんじゃ。そこからが大変なんじゃろ。」と一蹴された。その通りである。
そんなことは誰よりも分かっていたはずなのに、オヤジさんに言われるまではまだCDが出たことの余韻の中に自分がいて、あまり実感として分かっていなかったんだな、と思った。
CDが出る前から、僕は既に「次」のことで頭がいっぱいだった。にもかかわらず、既に時間軸の上では「過去」となっているCDをいかに売るかについて、レコード会社や事務所の方々と考えたり動いたりするような気持ちの切り替えは、正直なところあまり得意なことではない。確かにそれも本当に大切なことだし、だからこそむしろ率先して動いてきた。でも企画開始から通算すると一年半が経過しているいま、僕はいつまでもそこに止まっていられる人間ではない。ただ現実として爆発的ヒットにはまだなっていないこのCDがもっと売れないことには、「次」をいくら考えても周りはそうは動いてくれない。だから「次」を考えると同時に「過去」にこだわり続けていなくてはいけない。そんな矛盾した状況に、僕の「手詰まり感」の原因のひとつがあるのだと思う。
もうひとつは、ミュージシャンとして生計を立てるようになって六年あまりが経過し、メジャーデビューを特に目標と考えていたわけではないとはいえ、それがひとつの大きな節目になったことは確かだった。それがひと段落して、とにかく走って来たことに肉体的にも精神的にもどっと疲れが出てしまったこともあるだろう。去年の夏に病に倒れて以来、ガツガツ走るのが怖くなってしまったのもある。ベンツの走りはできない体なのに、戦車並みに走ってきたのだから無理はない。
この状況を打開したい。そう思い初めてしばらく経つが、休んでいた間のツケというものは数ヶ月後に回ってくるもので、この状況から抜け出すのにはまだあとちょっとかかりそうな気がする。
こんなことを書いてしまうと心配されてしまうので念のため書いておくが、決して何ヶ月も仕事をさぼっていたわけではないし、悲観的になっている訳でもない。体を壊してから仕事のやり方を変え、体や精神衛生にやさしいように仕事のスタイルを変えて来た。それが功を奏した部分と、そうでない部分が出て来たのだ。
先日読んでいたスポーツ新聞のネット記事で、読売ジャイアンツの清水選手の安打性の当たりを審判がアウトと判定したときの話が載っていた。一塁コーチは審判に猛反発して、「清水にだって生活がかかっているんだ!」と激高した、という。ご存知ない方のために書いておくと、清水選手はいまのジャイアンツでは珍しい「生え抜き」の選手で、他球団や外国からカネで集めてきた選手ではなく、入団時からジャイアンツで地道に頑張って来てレギュラーの座を勝ち取った素晴らしい選手で、何度も三割を超える打率を残している。にもかかわらず、気まぐれのように球団が取って来た新外国人(実はこの人、去年まで我がレッドソックスに在籍してたんですよね)に、首脳陣がレギュラーを渡してしまい、清水選手は能力があるにも関わらず開幕以来ベンチで辛酸をなめ続けている。
この一塁コーチは、そんな彼の一打席一打席にかける思いとその大切さを、誰よりも知っていたのだろう。確かにひとつひとつのヒットがレギュラー奪回への道につながり、それは清水選手の生活へと直接結びついて行くのだ。(このコラムのトピックとは直接関係ないけど、レッドソックスファンの僕の私見では、この外国人選手はほんと大した選手じゃないんです。清水選手の方がすぐれているのは一目瞭然なんです。なのに、日本って「メジャーリーグ」「アメリカ」って言葉にほんと弱いんですよね。僕は清水選手を応援しています。がんばれ、清水選手!)
プロのスポーツ選手は、本当に厳しい職業だと思う。一般の会社員ならよほど手厳しい会社で、しかも副社長クラスでもない限り「今年成績を残せなかったから来年からはやめてもらいます」とは言われない。さすがにサラリーは上がらないかもしれないが、生活していけないぐらいにまで下げられることなんてないだろう。でも彼らスポーツ選手は、成績が残せなかったら突然路頭に迷うことになる。にも関わらず、チャンスで凡退が続いたりミスが目立ったりすると、メディアはその選手を酷評する。それも、きちんと勉強した記者が書く記事なら納得できるものを、会社のサラリーに守られた、ろくな質問もできない勉強不足の記者たちが、そういった選手たちをこっぴどく書いたりしているのもかなり多い。そういう記事を見るたびに、僕は(キタナい言葉で失礼しますが)ほんとうに「胸クソ悪く」なる。イチロー選手や野茂選手が、勉強不足の記者たちの質問に答えたくない気持ちは、本当によく分かる。たまたま一日ヒットがなかっただけで「今日はヒットが出ませんでしたね。調子が悪かったんですか?」とか言われても、「オレが聞きたいわい。誰にだってそんな日だってあるじゃろうが。」と思うのは当然だと思う。
同様に、いまをときめく堀江社長に対してだって、会社に守られた勉強不足の記者たちが、鬼の首を取ったように彼の言葉尻や疲れた表情を記事にし、それが誤った報道であっても首が飛ぶどころか公の謝罪だって滅多な事じゃしなくてもいい。堀江社長の言動がどうか、なんてことはここでは論じるつもりはないし、それこそ僕にはそれを(酒の肴以外の場で)論じるには情報が圧倒的に足りない。ただひとついえるのは、彼は会社を背負っている立場であり、彼がしているひとつひとつの企業活動は、彼自身のみならず彼の会社や取引先の会社など、さまざまな人達の生活がかかった、文字通り命がけの活動なのだ、ということだ。そんなふうに必死に動いている人を、表面だけつかんで罵るだけ罵っている幼稚なサラリーマン記者たちを見ていると、これも本当に「胸クソ悪く」なると言わざるを得ない。
そこまで書いていてふと考えた。僕はどうしてそこまでこういう記者たちに大して「胸クソ悪く」なってしまうのか。そう、つまりは僕も、自ら好き好んでプロスポーツ選手や堀江社長のような「厳しい」人生を歩んでしまった人間だからなのだ。
野球選手が一打席一打席を通してまわりから評価されるように、僕らもひとつひとつのステージ、ひとつひとつの楽曲、ひとつひとつのアルバムが、素っ裸にされて皮まで剥がしにかかられるぐらい、いろんな評価を受ける。そして自分が裸になって全力で産み出したものが「売り上げ」という数値によって測られてしまう。極端な話、我が子を批評されて「お宅の息子、身長が伸びないわね。栄養失調ぎみじゃないかしら?」「おたくの娘さん、まだお嫁にいけないのね。親であるアナタの顔のつくりが悪かったかかしら。おほほ。」なんて毎日あちこちから言われているようなものだ。
ステージに関していえば、当然ながら調子のいい日もあればそうでない日もある。楽曲作りだって、まさに水のごとく湧いて来る時期もあれば、いくら絞ってもロクなものが出て来ない時期だってある。そして、調子がいい悪いに関わらず、それらひとつひとつのことは、僕らの生活に直接的に結びついてしまうのだ。
もちろんそういう職業を選んだ以上、いい評価であろうと悪い評価であろうと甘んじて受け入れる用意はあるし、仮に悪い評価を下されたからっていちいち言い訳しているようでは、こんな職業はつとまるわけがない。ステージは一番悪い時でもお客さんを納得させられるような力をつけなくちゃいけない、と思っているし、楽曲はノッていないときでも最低限の形になるようには基礎体力をつけて来た。様々なインプットだって、常に怠ったことはない。
そんなことをイタいほどに考えてきたここ数年だったけれど(一時はほんとに胃がイタくなりました。はい。)、だからこそ最近観た何本かの黒澤映画が、学生時代に観た黒澤映画とはまったく違う視点を持って僕の脳に飛び込んできたのだろう。彼の、生涯学び続けた姿勢と決っして諦めなかった姿勢、借財を抱えてでもホンモノを作ろうとした姿勢とそれを実現させて行った行動力は、敬服なんて言葉じゃ足りないぐらいモノ凄さが伝わって来た。
彼の映画を観ていて、心のどこかに眠っていた勇気が湧いてきた。八十代になっても果敢にチャレンジしていた黒澤明。そんな巨匠に比べて、僕はまだ動き始めたばかりの「ヒヨコ」である。年齢だってまだぎりぎり二十代だ。そう、挑戦する姿勢を失ったら僕は僕でなくなってしまう。この数年で新たに学んだしなやかさを忘れずに、でも僕は、もう一度新たに挑戦を始めようと思う。
ここ数ヶ月暖めて来たアイディアがいくつもあるのだが、その第一弾としてなんとか実現しようと思っていることがある。本当に実現できるかどうかは資金的な面でもハードルが高いのだが、チャレンジ精神を忘れずに頑張って実現させたいと思う。まだ口には出せないのだが、もし実現したら、きっと数ヶ月後にはみなさんにもそれが何だったのか、分かってもらえると思う。僕の音楽を聞いてくださっているすべてのみなさんの応援が、僕の心の支えです。これからも応援のほど、よろしくお願いします。僕はそういった応援に、いい意味で期待を裏切ることの出来るミュージシャンとして、これからも全力を尽くし続ける男でありたいと思っています。