There Is Hope のゆくえ (03.04.2005)


2005.02.07 に東京で行われたライブ
「There Is Hope」を通して音と写真のコラボレーションが実現

photo taken by Ikki Yamaguchi


今回の日本滞在中に買ったある雑誌に、スマトラ島沖地震・津波災害に対する有名人の寄付金額と「その裏に隠された意図」についての特集が組まれていた。そこにはアメリカのセレブ、また日本や韓国の有名人の寄付金額が事細かに記載されていて、意図として「イメージアップ」が根底にある、という結論らしきものが書かれていた。

でも果たして、それは真実なのだろうか。

 

 

今回の「There Is Hope」プロジェクトを進めている間中、僕は「利益」について多くのことを考えた。僕はなぜいま(収入にもならない)こんなことをしているのだろう。何が僕をこんなに突き動かすのだろう。これをすることによって、いったい何が起こるのだろう・・・。

断っておくが、今回僕がこのプロジェクトをはじめたのは、決して売名行為でもイメージアップのためでもない。昔から国際関係の分野で地球規模の問題に取り組み、NGOを通して活動し続けてきた自分が、今回の惨事に強い衝撃を受けて自然と曲が出来てしまったのだ。

ただ、昔からずっと僕を知る人なら分かってくれても、それをまったく知らない人に分かってもらう、となると話は別だ。一新人アーティストである僕やSyncopationが、「そりゃ売名行為だ」「そんな無名な人達とはできません」と周囲から言われてしまうことに強く反論する手段は、残念ながら僕にはまだなかった。だからチャリティCDの実現が見送られたのは、苦渋ではあったものの賢明な決断だったと素直に思う。僕はまだまだ役者不足だったわけだし、それは変えようのない事実だったのだ。

ただ、不足者なら不足者なりに出来る事もあるだろうと思って、七転び八起き、というか、最後まで粘っていろんなことをしてみた。友人の写真家とコラボレートしてポストカードを作り、ソロツアー中に販売して、わずかな額だけれど義援金を作り出した。またライブのMCでは必ず今回の災害の話をしてからこの曲を歌い、未だ苦しんでいる人々がいる事実を少しでも多くの人々の心に留めてもらえるように、思いを伝えてみた。サイトでもこの思いを書き綴り、多くの方々がそれぞれのサイトで「There Is Hope」のことを伝えてくれた。集まった金額云々ではない精神的な「善意の波及効果」が、そこには確実に存在した。

「利益」ということについて書いたので、意地悪な質問だがあえて自分に問いたい。

 

これらのことは、僕に利益をもたらしたのだろうか?

 

さらにこれを別のケースで問うてみよう。

 

アメリカの援助は、アメリカに利益をもたらしたのだろうか?

アマゾン社の募金活動は、アマゾン社に利益をもたらしたのだろうか?

ヨン様の、松井秀喜氏の募金は、彼らに利益をもたらしたのだろうか?

 

皆、大小の差こそあれ、結果的になんらかの形でプラスになることがあるだろうし(たとえば精神的に充実した、とかいうことでもいいだろうし、素敵な人たちとの出会いがあった、とかいうことでもいいだろう)、そうでなくてはいけないとも思っている。しかし、それは結果であって目的ではないのだ。結果的に援助した人達に何らかのプラスがないとこういう善意は続けていけない。けれど、それ自体が目的になってしまうとき、援助は援助でなくなってしまう。ただそのうえで、全体をコーディネートする人(今回の場合は僕でした)は、その事業に参加するすべての人が何らかのプラス材料を持ち帰ってもらえるように考慮しなくてはならない。そこに、慈善事業の難しさがある。

援助すること。募金すること。そういった行動はどの社会でも、一般的に「いいこと」だとされている。しかし日本の社会でいいことをしようとすると、「あいつ、ええかっこしいやんか」「なにあいつカッコつけちゃって」などと、兎角外野がうるさい。ほら、小学校や中学校でも、何かいいことをしようとするとバカにされたりいじめられたりするでしょ?(少なくとも僕はそうされるということを、子供時代にたくさん経験した。)だから、今回の災害に対して有名人たちがいいことをしようとすると、ついつい「実は裏があるんでしょ」「ええカッコしてるけど、ほんとは名前を売りたいんだよ、あいつ」という視点でつい見られてしまう。

僕は、欧米のすることをなんでも「すごい」と述べてしまう人は、海外経験がまったくない人のケースを除くと、大半は頭がおかしい人だと思っている。欧米には欧米のいいところと悪いところ、日本には日本のいいところと悪いところがある。そんなのは当たり前のことだ。それを理解していただいた上で述べると、僕の知っている欧米社会は、いいことをする人は「ええかっこしい」ではなくて「かっこいい人」として社会に認められている。そして、持つ者が持たざるものへ分け与えることは、日本よりははるかに「当然の行為」として行われていると思う。それは「義務」とか「使命」という感覚に近いとすら言える。だからこそ、寄付をするという行為に対する意識が、欧米社会では日本社会よりも圧倒的に高いのだ。

税制が違うから、と、これまた茶々を入れる人がいる。だから何なのだ、と僕は言いたい。所得控除になる寄付金の対象が、少なくともアメリカでは日本よりも広い。だから日本よりもアメリカのほうが寄付をする人が多くて当然だ、とでもいうのか。寄付金が所得控除になるようになったのは、寄付をしようという人々の意識が強く、その意識を守り、また促進するために生まれたのが所得控除というシステムなのだ。寄付をしたいから所得控除というシステムが産み出され、そして所得控除されるから寄付がしやすくなってさらに寄付が増える。なんとも理にかなった「善意の循環」ではないか。

災害が発生して以来、アメリカでは有名人たちが次々と多額の寄付をし、テレビやほかのメディアに次々と登場してコメントを求められていた。そこには「ええかっこしい」ではなくて「かっこいい人」としての姿があり、「オレはこんないいことをしてるんだ。だからみんなもしてくれよな。」と飾る事なく訴える姿があった。皆「いいこと」に対して一様に誇りを持っている姿が、そこにははっきりと見られた。

そういう根底の違いがあるからだろうか。僕は、彼らが「イメージアップ」のために多額の寄付をしようと思い立ったとは、到底思えなかった。結果的にイメージアップにつながったとしても、何百万、何千万というカネを払ってわざわざイメージアップを図るなんていう「投資」の仕方がいかに効率の悪い投資なのか、日本のメディアは分からないのだろうか。彼らの多くは、寄付をすることが当然なことだと思ってそうしているのだし、使い道のはっきりと分からない税金に自分のカネが流れることよりも、「いいこと」に直接自分のカネが流れることに、「ああ、よかった。無駄な税金を払わなくて済んだ。こっちのほうがよっぽど人のためになるわ。」という、意思のあるカネの使い方の選択をしているのだ。

「持つ者が持たざる者へ分け与えること」、と書いた。U2のボノ氏が、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏が、投資家のソロス氏が、さかんに慈善事業に寄付をしたり行動したりするのは何故なのか。それは、それが「当たり前だ」という意識が、彼らにはあるからなのだ。音楽で、インターネットで、利益を追求し産み出していく彼らは、利益を一方的に得ているだけでは限界があることを、誰よりも知っている。利益を得るということは、自分の力だけで可能になるものではない。たくさんの人達の犠牲や援助があって初めて可能になるものなのだ。だからこそ、得た利益は自分ひとりの場所に留めるのではなく、必要とされているところに還元していく。そこに金銭的だけでない、精神的なものも含めた大きな一つの流れ(=循環)が起こる。それこそが、人間社会が何千年もかけて培ってきたやり方なのだ、と彼らは知っている。それを怠る者は必ずや破滅が待っている、ということを知っている。

ミュージシャンとして生活していくために、僕はこの数年、生きて行くために経済的な「利益」を確保することをかなりしっかりと考えて仕事をしてきた。バンドリーダーとしてグループを「経営」する僕にとって、グループが利することは何か、必死に考えてきた。会社員とは違い「自営業者」であり「経営者」である僕らは、そういった思考回路は当然持っていなくてはならないものなのだ。

僕はボノ氏やゲイツ氏、ソロス氏のような億万長者ではない。しかし、聴く人たちから多くのことをもらい、それをまた活力にして音楽を作っている僕らミュージシャンにとって、利益を追求することばかりに気持ちがいくようだと明らかに黄信号であり、いずれミュージシャンとしてやっていけなくなるだろう、と僕は思う。人の心に響くもののある、優れたミュージシャンというのは、与えるものを多く持った人なのだ。その与えるものに対してお客さんは対価を払う。ミュージシャンの側は決してそれに満足することなく、それ以上のものを与えようとまた努力する。そこには、やはり一つの流れ(=循環)が起こる。

ミュージシャンとして仕事をし始めて、もう少しで7年目を迎える。ほかの職業の方々がそうであるように、僕も生活していくために必死にならなくてはならない部分も未だにたくさんある。けれど、生きるためにガツガツばかりしていたのでは、本当に人の心に何かを与えられるような音楽は作れないだろう。

そこには利益云々でないものが、確かにある。

もっと知名度を上げたい、もっとCDが売れてほしい、もっと大きな会場でコンサートをしたい。

それらは決しておろそかにしてはいけない、ミュージシャンとして大切な欲求である。ただ、それだけでは本当に大きな一線は生涯越えられないだろう。ガツガツしているだけではダメなのだ。何かが不足するのだ。僕はそう思っている。

結果的に特に知名度が上がったわけでも、大きな収入があったわけでもない今回の「There Is Hope」プロジェクト。むしろ1月なんかは、ほかにやるべき仕事を放り出して全身全霊注いじゃったんだから、収入の面ではマイナスだったくらいだ。でも、僕は今回のことからとてつもなく大きなことを学んだ。「勝負の年」と宣言した2005年がそんなふうに始まったことは、今後の自分自身のミュージシャンとしてのあり方を示すために、何か大きな力が大きな事を僕に伝えようとしたのではないか、という気がしてならない。被災地の子供たちに与えるはずの「Hope(希望)」は、ひとまわり循環して僕のところに大きな足跡を残し、いままた次の旅先へと向かう身支度をしている。

 


2005.02.14に突然丸ビルで行うことになったライブでは、
サックス奏者Steve Sacks氏との共演で「There Is Hope」を演奏しました。
photo taken by Ikki Yamaguchi

 

 

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