There Is Hope

-実現しなかったスマトラ島沖地震・津波災害チャリティCDプロジェクト- (01.18.2005)


小さな光からも希望が見えますように・・・

photo taken by つね


スティービー・ワンダーをはじめとする大物アーティストたちのスマトラ島沖地震・津波災害チャリティー・コンサートが全米で放映されている頃、僕はボストンからニューヨークへ向かうバスの中にいた。「HIT FACTORY」。マライア・キャリーやNSYNC、ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、ホイットニー・ヒューストン・・・。数えれないほどの世界的アーティストたちのレコーディングが行われてきたこのスタジオで、その週末、僕は最新のオリジナル曲「There Is Hope」のファイナル・ミックスをすることになったのだ。そんな至福のはずの道中、僕は複雑な心境を押さえることができなかった。

 

2005年1月4日の深夜2時。スマトラ島沖で起こった地震と津波による大災害が発生して一週間あまり経ったこの頃、僕は突然のように鉛筆を握りしめ、猛然とひとつの曲を書き始めた。空も明るみ出したころに大枠が出来上がったこの曲は、翌日に歌詞を書き上げて英語のネイティブチェックも済ませ、書きはじめから16時間後、「There Is Hope」と名付けられた新曲が完成。帰宅後すぐ、ピアノとリードボーカルだけの簡単なデモ録音を済ませ、関係者だけが見られるウェブサイトにサウンド・ファイルをアップし終えたあと、今度は猛烈に何通ものメールを書き始めた。

「今回の災害によってたくさんの子供たちが家族を失い、生活が脅かされたりマフィアにさらわれたり、学校に行けなくなったりしています。彼らをサポートできるお金を集めるために、そして彼らに生きる勇気を与えるため、僕が今回の災害からインスピレーションを得て書いたこの曲を使って、チャリティーCDを作れないでしょうか?」

僕は大学時代に国際関係学を専攻し、東南アジアの地域研究をしていた。そして、今でこそミュージシャンとして仕事しているわけだが、当時は発展途上国支援のためのNGO設立を夢見て日々活動し、今回災害にあった国々にも足しげく通った。

そんな地域の人達が苦しんでいる。3年ちょっと前にニューヨークのテロで亡くなった人の何十倍の人達が、神戸の震災で亡くなった人たちの何十倍もの人達の命が、あっという間にさらわれてしまった。そして亡くなった方々のさらに何倍もの数の人々が、家族や友人、愛する人を亡くし途方に暮れている・・・。

そんな現実を前に、僕は人として、そしてミュージシャンとしていったい何ができるのだろうか。そんなことを一週間考え続けた後、突然「降って来たように」ふつふつと湧いて来た力で生まれたのが、この「There Is Hope」だった。

悲しみに暮れる人々に「希望を持ってください」なんて大それたこと、僕はとても言えない。でも音楽にはときとして、そんなストレートなことを伝える力があるのではないだろうか。

僕は自分の曲の善し悪しを自分で評価することなど、ほとんどしたことがない。評価は聴いた人達がすべきものであって、プロの作家である以上自分で善し悪しを判断して自己満足しているヒマも意味もないのだ。評価を聞いて喜んだり落ち込んだりはするけれど、曲を書き終えたあとに作家としての僕が出来る事といえば、人々の心にもっと届くような曲を書けるように努力し続けることしかないと思っている。普段はそんな僕であるが、今回に限っては違った。人が何と言おうと、この曲にはすごい力があるんじゃないか、と思った。根拠はないのだが、直感的に「この曲は人の心に届く」という揺るぎない自信があった。

だからこそ、自分がまだまだ無名に近い存在であることを承知のうえで、なんとかしてそれをより多くに人に届けるべきだと思った。そしてそこから生まれたお金によって、被災した子供たちの生活を何らかの形で支えていけたら、と思い、まずはSyncopationのメンバーに「チャリティーCDを作ろう」と呼びかけ大きな賛同を得た上で、考えられる限りの人達にメールを送ってその可能性を探り続けた。

そしてその可能性を探りながら、同時進行でアレンジを書きあげて僕の自宅でレコーディングを開始し、様々なミュージシャンの参加を促すためによりクオリティの高いデモ音源の完成を急いだ。

そんな僕の思いが伝わったのか、初めてのメールを送って一週間が経ったころには、ここには書けないけれど様々な素晴らしい著名ミュージシャンたちが次々と参加の意思を表明してくれて、ニューヨークと東京でこの曲のレコーディングをしよう、という話が進んだ。そしてまずニューヨークで、ある素晴らしいピアノトリオをバックにシンコペーションがハーモニーと一部リードボーカルを歌い、東京で様々なシンガーたちが代わる代わるリードボーカルを歌い、楽器演奏者は短いソロを交代で入れ、最終的にはある著名オーケストラのメンバーを中心としたストリング・セクションを加えてレコーディングを行う・・・、カップリングには別バージョンでこの曲を収録して、マキシシングルを発売し、収益のすべてを被災した子供たちの為に寄付する、という僕が描いていたレコーディングのシナリオが本当に実現するかに思えた。

そしてそれならば、いいクオリティのデモを作らないと、参加を表明しつつある様々なミュージシャンやスポンサーの方達の心を動かしきれないと思い、シンコペーションのメンバーを自宅の簡易スタジオに呼び、歌入れを行い、その週末にはニューヨークのレコーディングスタジオで働くインド人の友人にいろいろなスタジオの担当者を紹介してもらい、スタジオの選定をすることになっていた。2月上旬に日本で行われるソロ・ツアーの準備や、それまでに仕上げる約束をしていたいくつかのビッグバンド譜を書く作業、こちらで僕の楽譜を出版してくださっている会社への追加入稿の作業など、本来この時期にすべきだった仕事を完全に後まわしにして、見えない何かに動かされながら僕はこの2週間突き進んできた。

そしてスタジオ見学に行くことになっていた週末を前に最後の歌入れを終えようとしていたある日、所属事務所から一通のメールが届き、今回のチャリティー・プロジェクトは見送らざるを得ないことになった、との連絡が入った。

実現しなかった理由は様々あって、詳しくはここでは触れないが、僕やシンコペーションがまだまだ小さな存在だったことが影響したのかもしれない。関係者の方々は、本当に全力を尽くしてくださったし、その事に僕は心から感動した。でも数々の素晴らしい実績を持った方々が全力で動いてくださり、最終的に何人もの方々が集まって行われたミーティングで出た決断が「実現見送り」とのことだったわけだし、そこに書かれていた理由は僕もほとんど納得せざるを得ない事実だった。

それでも僕はやはり心から悔しかったし、自分の力の無さを今の時点でこれ以上どうすることもできず、歯がゆくて仕方がなかった。

でも確実に時間は流れていくし、僕はまた前に進まなくてはいけない。とりあえず今回のことで協力してくださった方々に連絡をしようと思い、まずは週末のスタジオ見学の予定をキャンセルすべく、僕は真っ先にニューヨークのレコーディング・スタジオで働く友人に電話を入れて今回のプロジェクトが消滅したことを伝えた。そこで彼の口から出た言葉が、落ち込む僕を救ってくれた。「なーんだ。明日来るなら、たまたま急にスタジオが空いてて、僕に与えられた練習時間で使える部屋があるから、ここ(HIT FACTORY)でミックスできたのに。」

 

 

 

 

・・・あとは冒頭の通りです。その日のうちにニューヨークに住むドラムとベースの友人に追加録音のために連絡を入れ、翌日、最後のリードボーカルラインを自宅で録り終えるとその足でボストンのバスターミナルに向かい、HIT FACTORYのあるニューヨークへ向かうバスに乗り込みました。

そして完成したのがこのサウンド・ファイルです。もともと参加ミュージシャンやスポンサーの方々が聴くための参考資料として作り始めたものだし、ましてそんな素晴らしいスタジオでミックスできる予定はなく、あくまで自宅のスタジオで限られた時間と環境の中で録音したものなので、これまで発表して来た「A New Dance」や「Of Blue」といったアルバム収録曲に比べると、完全にプロフェッショナルなサウンドとは言い難いところがたくさんあります。それでも、チャリティCDの発売が夢物語となった今、この曲の完成に力を貸してくださった様々の人やプロジェクトの実現へ向けて知恵や力を貸してくださった方々への感謝の印として、そして文字通り「希望」と少しでも多くの方々に届けるために、このデモ・バージョンの「There Is Hope」サウンドファイルと歌詞を無料で公開しようと思います。

ただし、ふたつほどお願いがあります。

ひとつめのお願いです。音楽の制作には多大な時間とお金がかかります。違法コピーやダウンロード等によって、ミュージシャンの生活が脅かされるばかりか、それによって縮小の一途をたどるレコ−ディング予算のために、みなさんが本来聴けるはずの素晴らしい楽曲がどんどんみなさんに届かなくなっているという現実があります。みなさんにはそれをご理解いただいた上で、今回のケースはこの曲の著作権を保有する僕や、本来報酬が発生するはずの参加ミュージシャンやエンジニアといった方々が、もともとがチャリティのためのデモ録音であったということから、金銭の受け取りをすべて放棄して時間を注ぎ、最終的にサウンドファイルの無料公開に踏み切りました。それは、参加者全員が、この曲が届ける「希望」の意味を信じているからです。もしこの曲を聴いて感じるところがあったら、下記の慈善団体等を通じて、今回の災害地域への募金を、各自が任意でしていただけると幸いです。

ふたつめのお願いは、この曲の存在、ここに書かれた文章の存在を、みなさんの周りの方々に是非お伝えください。また、どんな小さなコミュニティー誌や学生新聞、メールマガジンや、新聞への投書などでも構いません。みなさんの周りにあるメディアに、大小を問わず、このことをお伝えください。そうすることによってこの曲が広まり、この文章が広まり、その結果、下記の慈善団体やこの曲を聴いた人の身近にある慈善団体を通して少しでも多くの募金が集まったり、あるいは現地にボランティアとして赴く人が現れたりする・・・。そんなことが僕の見えないところで少しずつでも起こってくれれば、実現しなかったチャリティCDの企画のが仮に実現した場合の結果と同じぐらい尊いことだと、僕は思います。

世の中にはいろいろなミュージシャンがいますが、今回の企画を通して知り合ったミュージシャンたちは皆とても素晴らしい意思を持って生きてらっしゃって、こういった社会貢献活動に積極的に興味を持っています。欧米の著名人たちが次々と寄付や奉仕活動、寄付の呼びかけをしている中、日本ではまだまだそういった意識が全体的に低いように思います。そんな中でも(僕はまだまだ著名人とは言い難いですが)、今回のプロジェクトに多くの著名ミュージシャンたちが参加を表明しつつあったように、日本にも素晴らしい意思を持ったミュージシャンの方々が少なからずいることを、是非心のどこかに留めておいてください。

最後に私事ではありますが、つい最近とても親しい友人のご家族が、癌であることを宣告されて途方に暮れている、というメールをもらいました。ひとつの尊い命が失われることで、その周りではその何十倍もの人々が涙を流します。スマトラ島沖地震・津波災害によって亡くなった方々の総数は、今日現在で約18万人といわれています。18万人が亡くなった陰には、その何十倍もの涙があることでしょう。この曲は、今回の災害で亡くなった方々のご遺族や友人をはじめ、上記の僕の友人のご家族や、その他「Hope (希望)」を必用としているすべての方々に捧げたいと思います。

災害によってなくなられた方のご冥福と、災害地域の一日も早い復興を心よりお祈りいたします。

長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

ミュージシャン/Syncopation バンドリーダー つね(Tsunenori 'Lee' Abe)

 

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