デビューにあたってのコメントを、つねマガより転載します。(12.13.2004)
"Of Blue" by Syncopation
いつもは限りなくアホなことを書いている不定期刊行の「つねマガ」。コラムではどちらかというと「真面目路線」な展開になりがちですよね。確かにそれも100パーセント本当の僕だけれど、もっとアホな僕もいるんです。ライブやワークショップに来てくれたり、直接お会いしたことのある方ならそれもよくご存知かと思いますが、なかなか「生つね」(初めてこの言葉をファンの方から聞いたときは失神しそうなほどびっくりしたなあ。「生チョコ」じゃあるまいし・・・。あはは)体験のできない方も多いことでしょう。ってなわけで、つねマガではもうひとつの僕の側面を赤裸々に披露しちゃってます。みなさん、この機会に登録してみてくださいね。
そんな「つねマガ」も、今回は珍しく真面目に書いちゃいました。2004年11月25日。この日は僕にとって、ひとつの大きな通過点でした。そんな日を前に発行したつねマガには、いろいろな思いが込められています。なので、今回はコラムに代えてつねマガから、デビューにあたって書いた文章を転載します。次からはまた通常どおり、アホ全開のつねマガに戻ります。最近登録数が一気に増えているので、いきなり引かれないか心配ですが、まあ引いちゃったら引いちゃったで、それもアリってことで。
それでは、前置きが長くなりましたが、以下、11月22日に発行したつねマガ14号からの転載です。
(ちなみに後日談ですが、今回は「Special Thanks」を入れたこともあり、これまでで一番長いつねマガになってしまいました。ボストンの空港に向かう前の早朝に書いていたら、家を出るのが遅くなってしまい、生まれて初めて飛行機に乗り遅れてしまったんです!これについては今度またつねマガか何かで書きますね。とほほ・・・。)
つねマガ愛読者のみなさん、お元気ですか?日本へ向かう直前のつねより、つねマガ第14号をお届けします。
前回予告したとおり、今回からつねマガは「tsunemaga@crazyharmony.com」より、つねマガ発行人を経由してお送りしています。まわりのお友達で「最近あの、やたらテンションの高いメルマガ、なんていうんだっけ、ほら、あの、パンツに穴が空いちゃったやつ。届かないわよねー。」なんて悲しんで(?)いる方がいたら、きっと新しいアドレスを登録してなくて、ブロックされている可能性があります。怪しいメールではないので(十分怪しいけど)、ブロックしないでくださいねっ!
さて、前置きがかなり長くなりましたが、ここからが本題。今回は珍しく、ちょっとまじめに書こうと思います。とってもとっても大切なことだから、ホームページをご覧になっている方にも、そうでない方にも、少しでも多くの方々にお届けしたいと思い、これまでで初めて、つねマガに書いたことを一部ホームページにも載せようと思っています。かなり長いですけどとっても大切なことを書いているので、時間のあるときに読んでみてくださいね。
さて、もうご存知の方も多いかと思いますが、今週、シンコペーションが遂に日本にてメジャーデビューします。今回のデビューは変則的といえば変則的で、日本が先行デビューで、アメリカでのデビューは来年春ごろの予定なのですが、まあそんなことはどうでもよろし!とにかくデビューしちゃうんです。
「デビュー」とか「メジャーデビュー」って何ですか?って素朴な疑問をお持ちの方って、意外と多いんじゃないでしょうか。なんだかめでたそうだけど、なんでめでたいのかよくわからない、と思われている方もいらっしゃることでしょう。(昔は僕も知りませんでした。)
めちゃめちゃ単純化して説明すると、「メジャー」といわれるレコード会社からCDを発売し、全国のCD店にCDが並ぶことなんですね。ライブ会場でしか手に入らない、とかオンラインでしか手に入らない、とかいう状態ではなく、人口3000人の村にある「やまだレコード店(仮称)」でもシンコペーションのCDが買えちゃう、という状態になることなんです。
パソコンができないおじいちゃんおばあちゃんでも、ライブ会場まで足を運べない地方の方でも、近所のレコード店に行けば僕らのCDに会えるのです!(たぶん「ジャズ」のコーナーにあります。)
ただ、最近はレコード業界の仕組みも変わってきていて、いわゆる「インディーズ」と呼ばれるレコード会社から出ていても、都市部を中心に大きなお店でCDが買えたりもするようになってはきました。でも、特に地方や小さいレコード店などでは、まだまだメジャーの会社のCDしか手に入らないのが現状です。
これは間違いなくめでたいことです。でも、包み隠さず言ってしまうと、音楽を仕事とし始めた頃、僕は何がなんでもメジャーデビューをしたい、と思っていたわけではありませんでした。
「メジャーデビューするためには、どんな曲を作ったらいいのか」
「メジャーデビューするためには、どんなステージをしていったらいいのか」
プロのミュージシャンとして仕事をし始めて以来、こういった見解を持って音楽をしている人と出会ったり一緒に仕事をしたりするたびに、僕は違和感を感じ続けてきました。もちろん、デビューしたいというモチベーションを持つのは素晴らしいことだと思います。デビューするということは、(基本的には)これまでより多くの人々の耳に自分の音楽が届くということであり、それはミュージシャンとして大切な欲求であることは間違いありません。
でも、それが「デビューするための音楽」を作り、仮にそれでデビューできたとして、そこに自分が本当に伝えたかったことは存在するのでしょうか?
音楽を仕事にし始めて以来、僕には常に伝えたいことが存在しました。そして僕にとって一番大切なのは、自分が信じる「素晴らしい音楽」を、妥協のない形で作り上げること。そしてそれと同じくらい大切で在り続けてきたのは、音楽で生活することでした。
こんなこと書くとカッコ悪いけれど、どんなに伝えたいことがあっても生活できなくては音楽を続けられません。バイトをしながら音楽を続ける、という選択肢もあるし、それはそれで立派なことだけれど、僕はなんとかして音楽一本で生活したい、と常に希求してきました。
「売れるための音楽」を作って生活していくことは、皆が思うほど簡単なことではありません。でも、「売れるか売れないか分からないけれど、自分が信じている音楽で生活していく」ということは、それよりもさらに数段難しいことです。どちらに転ぶにしても、何らかの妥協が必用なのだと思います。音楽性を妥協するのか、生活レベルを妥協するのか。
幸い、というか、僕はまだ独身です。歳もまだまだ若いほうだし、生活レベルを妥協するのは別に苦でもない。でも、音楽的に妥協するのは「若さ」が許してくれない。
音楽の仕事を始めたころ、僕は23歳でした。家具もロクになく、冷房のないアパートで暮らし始めた僕は、でも不思議なくらい希望に満ちていました。
2年を経てアメリカに渡った直前、留学資金を溜めるために音楽・音楽以外を含めて一日14時間以上働き、それでもお金が足りなくて本気で願をかけながら年末ジャンボを買い、クイズミリオネアに応募して最終予選の直前まで残ったり。そんなことをしてでも、僕はやりたい音楽で勝負しよう、という選択肢を選んできました。
こんなことを書くと「ずいぶんと苦労して・・・」なんて言われちゃいそうだけど、僕にはこれが苦労だと思ったことはほとんどありませんでした。きっといい意味の「若さ」がこれを苦労と思わせず、音楽と正面から向き合えることの喜びや、お客さんが喜んでくれる顔から力を得て、楽観的な音楽人生を送ってきました。
周囲の大反対を受けながらミュージシャンの仕事を選んだとき、僕は30歳までにモノにならなかったら音楽の世界から足を洗って一般企業で働こう、と決意してこの仕事を始めました。そして30歳まであと一歩というところまで来たいま、僕は遂にデビューを目の前にしています。
デビューといっても、CDが売れなければあっという間に忘れ去られていく可能性も、もちろんあります。いまは一時的にメディアに取り上げられていて、知名度も多少はあがるかもしれません。でも周囲が騒ごうと騒ぐまいと、メディアに取り上げられようと取り上げられまいと、僕のスタンスは今後もこれまでと変わらないでしょう。もちろんちゃんと生活をしながら、可能な限り妥協のない形で音楽を作り続け、気のおけないミュージシャンたちと一緒に演奏し、それをどうやったら多くの人達の届けられるか、ということにエネルギーを注ぎ続けることに、何ら変わりはありません。
何年か前、僕には自分の音楽性を妥協して自分自身もきちんとした基礎力のないままにデビューする、という選択肢を捨てました。ある友人は最近くれたメールで、「阿部はもっと早くデビューしてもよかった。むしろこのデビューは遅かったと思うけれど、でもこれでよかったのかもな。」というようなことを書いてくれました。僕はそのメールが、すごく嬉しかった。いまこうして、自分が心から信頼できる人達に囲まれて作り上げ、妥協のない形で作りあげたものが、メジャーデビューという形で世に登場します。ミュージシャンとして生活し始めてからこれまでの6年間は、それを自分が望むようなレベルと形で実現するためには欠かせない時間だったのだと思います。
本当にいい物はきちんと残り、本当に力のある者はきちんと残っていく。
僕はそう信じています。まだまだ力不足ではあるけれど、少なくとも自分の創るものを信じられるようにはなった。それを信じられるようになった時点で世に送り出せるようになった。
2004年11月25日。
この日はあくまでスタートだと思っています。ここからが本当の勝負だと思っています。
アルバム「Of Blue」の中に「I Can Fly」という、このアルバムで僕が一番届けたい思いの込められたオリジナル曲があります。2年半ぐらい前の夏に書いたこの曲は、ある大切な友人がくぐってきた辛い経験をもとに「生きていると辛いことも多いけれど、それをくぐり抜けた今だからこそ飛び立てるんだ。」というメッセージを込めて、自分の体験にも重なって湧くように出てきました。
ウソの無い音と言葉が、ここにあります。
どうしても伝えたかったこの曲が世に出ることが、なによりも嬉しい。
アルバムが出る前に既に、僕の心は次のステップへ向かっています。僕は本当に飛べるのだろうか。この歌に負けないように、これからもコツコツと、一歩ずつ歩いていこうと思います。
最後に、CDのジャケットには書けなかった「つね個人のスペシャルサンクス」を載せて、今回のつねマガを終わろうと思います。メンバー一同で、ジャケットには既に会社関係の方々の名前は出させていただいているので、ここではあえて省略させていただきます。また、日本語で書くため、数えきれないほどのNon-Japaneseのお世話になった方々も、ここでは省略させていただきます。もちろん、以下に書く感謝の気持ちとは、一寸の違いもありません。
Tsunenori 'Lee' Abe would like to thank...
・Baby Boo時代からずっと応援してくれているファンの方々。
あんな青かった僕から、本当に長い間応援し続けてくださっているみなさん。みなさんがいなかったら僕の音楽は「自己満足」で終わっていたことでしょう。みなさんは僕にとって初めての「ファン」の方々であり、完全に第三者として僕の音楽を追い続けてくれました。メールの返信は昔ほど書けなくても、僕の心にはいつもみなさんがいます。
・もちろん、いま現在進行形で応援してくださっているファンの方々
僕にとって幸運なことに、みなさんは流行り廃りでないものに目を向けてらっしゃる方が多いと思います。時には厳しく、時には優しく、アンケートにも正直に思いをぶつけてくださるみなさんに、心から感謝しています。
・Doo-Wop OB・OGのみんな
特にマキノ、マナブ、たじけん、たろう、うき、よこせ、いと、ふみ、あべたか。一緒に歌っていた仲間がいたから、こうして夢を持つことができたんです。
・友人たち
本当に幸せなことに、僕は信じられないぐらい多くの素敵な友人たちに囲まれて生きてきました。何度か訪れた人生のピンチに、この友人たちがいろんな形で支えてくれなかったら、いまの僕はありません。名前を挙げたらきりがないので省略するけれど、You guys know who I'm talking about!
・旧シンコペーションジャパンツアーの運営グループ
冬洋、マッキー、かほり、本当に無茶をいっぱい言ったけれど、みんなの存在がなかったらいまの僕らは在り得ません。冬洋、初めてのツアーのとき、メンバーの渡航費のための資金繰りに成功した瞬間の国際電話は、いまでも強烈に覚えています。いやあ、ヒヤヒヤしたけど今となってはいい思い出だあ!
・同世代の素敵なミュージシャンたち
Saigenji、ひろみちゃん、奈々恵さん。3人ともまったく別のことをしてるけれど、いつも僕の何歩先にも言ってて、「がんばらなきゃ」という気にさせてくれる存在です。こういう存在が同世代で走っていてくれる喜びは、計りしれないものがあります。千絵ちゃん、いつもガッツのあるピアノと大きな大きなインスピレーションをありがとう。一緒に音楽を作れる喜び、いつも感じています。Voice Connectionのみんな。あの夏は僕に大きな力を与えてくれました。また必ず何かやろうね。Kazz。わがままばかり言ってた僕だったけれど、本気で向き合ってくれたリーダーからは、現在進行形で本当に大きなことを学んでいます。
・恩師たち
松岡さん。あなたの存在なしでは僕も、このグループも、このアルバムも存在しません。あなたがいたから、僕は音楽で食べていこうと踏み出せたし、あなたがいたから、僕はアメリカに渡る勇気を持てたのだと思います。綾部先生。国際関係の教官なのに、音楽の道を選んだ僕にも惜しみない声援を送ってくださった先生。僕はいま、やっとここまで来れました。花輪さんご夫妻。心配ばかりかけたけれど、僕に国境を越えた価値観を与えてくださったのは、ほかでもない、おふたりです。ユニバーサルな感覚を持ちつつも日本人として大切なものを持ち続けるおふたりは、僕の生涯の師です。
・西村さん
4年半前の夏、本気で一時音楽を離れようと思った僕に「つねくん、回り道をしたらもったいないで。オレは回り道をしたがために今、心から後悔してんねん。どんなことがあってもやめたらあかん。」と、その日の自分の仕事を放ってまで説得にあたってくれたこと、一生忘れません。あのときの西村さんの熱意がなかったら、僕はもっともっと回り道をしていたことでしょう。
・僕の夢に手を貸してくださっているみなさん
Cash Boxさん、多作さん、みね、順井さん、もこちゃん、平川さん。行動範囲が広く多岐に渡る僕の草の根的な音楽活動を支えてくださっているのは、みなさんです。僕を育て、そして僕はそれに応えて何かを提供できるよう最大限を尽くす。こんなみなさんとの関係があるから、ミュージシャンとしてだけでなく、人間として、この仕事を通して大きなものを学べているのだと思います。
・愉快なシンコペーションのメンバーたち
英語じゃないけどこれは省く訳にはいきません。Christy。創設以来、唯一ずっと一緒の「戦友」。初めての日本ツアー中、高熱で倒れ意識の飛んだ僕のズボンを脱がせてくれたほど(笑)お互い信頼しあっている仲間。喧嘩もいっぱいしたけれど、本気でぶつかり合える証だよ。本当に本当に感謝しています。Christine。君はいつもこのグループに新鮮な風を吹き込んでくれます。一緒に泣いたり笑ったり。仲間という言葉がこれほどぴったり来る存在はいません。Jeremy。やんちゃで手に負えないと思いきや、信じられないぐらいしっかりしたりもしてる。君の存在は個性の多いグループを融合させる力があると思う。パフォーマンス面では、いつも発音とか口の形とか、根気よく教えてくれてとっても感謝してます。この3人と出会い、苦楽を共にし、家族のようなこのグループでデビューできることを、心から誇りに思います。
・細井さん
会社関係だけどこれも例外。初めて会った夜、終電を逃すまで酒を飲み、上野のサウナでひとり「オレ何やってんだろ」とか思いながら始発を待って過ごした夜は、いまでも忘れません。あのとき終電を逃してでもこの人と飲もう、と思った直感が、すべての始まりでした。
・家族
おかあさん。6年前、毎日のように泣かせちゃってごめんね。あのころを思うといまこうしてよくライブに来てもらえるようになったことが奇跡のようです。「親を泣かせたままじゃ終われねえ」ってな思いがなかったら、ここまでのハングリー精神は持てなかったかもしれません。なんだかんだ言いながらずっと応援してくれて、言葉に表せないほど感謝しています。なおちゃん。プロの音楽家としての大先輩でもあり、大親友でもあるなおちゃんの存在が、どんなときでも僕の大きな支えになってきました。これまで人生の一番長い時間を一緒に過ごしてきたであろう姉。これからも素敵な姉、素敵な音楽家として僕にたくさんのことを教えてね。
まだまだ書きたい人はいっぱいいます。でもスペースの都合もあるので、ミニマムに抑えさせてください。数えきれないほどの人達への感謝を胸に、今週からまた気持ちを新たに歩いていきたいと思います。
本当に長いメールを最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。これからもつね及びシンコペーションを、心よりよろしくお願いいたします。
あ、CD買ってくださいねー(笑)。目指せウタダっ(ムリムリ)。
「Of Blue」 はamazon.co.jpをはじめ、オンラインでも購入できます。