5年という時間、そしていま僕がいるところ・その2 (12.27.2002)
Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE
このクリスマス、ニューヨーク(以下NY)に行って来た。一番の目的は、高校時代からの友達に8年ぶりに再会すること。そして、SyncopationがNYに進出するための足がかりを見つけに行ってくることだった。
NYにはこれまで2度訪れたことがあった。10年前の夏、そして5年前の冬。
10年前のときは、まだ高校2年生。某企業主催のアメリカと日本の高校生国際交流プログラムに選抜され、タダで初海外を経験した夏(今回再会した友人は、このとき知り合った仲間だったっけ)。右も左も分からず、とりあえず団長さんの行く先に着いていったNY。不況下、まだ治安もあまりよくなかった時代で、歩きながら緊張したのをよく覚えている。
5年前のときは、参加していたミュージカルのワールド・ツアーがクリスマス休暇に入ったとき。カナダのオンタリオ州でツアー前半を終え、休暇後はフロリダで再開する予定だったので、そのままボストン、NY、ワシントンDCと東海岸の主要都市を通って南下する旅に出た。当時遠距離恋愛していた彼女が日本から来てくれて、カリフォルニアに留学していた大学時代のア・カペラ仲間とその彼女、そして僕らという4人でNYをぶらぶらしたっけ。この頃僕は、ジャズなんてものをまったく知らないに等しかった。だからNYのジャズクラブにも行かなかったし、宿泊費の高いNYには長居できなかった。夜中の地下鉄で怖い思いをしたりもしたけれど、エンパイア・ステート・ビルから見た夜景は最高にきれいだったっけ。
それから5年が経ったいま、僕はミュージシャンとしてアメリカを拠点に活動している。ジャズなんて何も知らなかった僕が、ジャズ作曲を専攻し、世界に通用する可能性を秘めた(と少なくとも自分では思っている)ジャズ・ボーカル・グループを率いて日米を行来したりしている。
そんなふうにこの5年間で僕を変えた最大のきっかけは、5年前にボストンで、のちの師匠となるVOX
ONEの松岡由美子氏に会ったことだった。尊敬するこのグループのウェブサイトのウェブ・マスターにメールを突然書いて、自己紹介と自分の夢を熱烈に書き綴った上で「是非会ってお話したい」などと、考えてみればストーカーまがいなことをしちゃったにも関わらず、お会いしてくれたばかりか授業にお邪魔させていただいたり、アレンジを見てくれたりしてくれた、この人に、僕は今でも頭があがらない。
その後僕が働いていた日本の音楽ギョウカイというところは、正直なところ僕にとって決して居心地のいい場所とはいえなかった。売れることが第一で、芸術性や音楽性の高さは二の次。「青いリンゴを赤く見せる」ことが良しとされ、「いかにより赤いリンゴを作るか」「実は黄色いリンゴとかもおいしいかもなぁ」なんて発想をしている僕は、よく煙たがられたっけ。
もちろん学んだことも多かったし、大好きな時間でもあった。完璧な環境なんて、特に駆け出しの頃はめったに存在し得ない。その頃の自分があったからこそ、今の自分があるわけだし。
でも、もうちょっと違うところで音楽をしても生きていけるのではないか。そんな疑問が頭から離れなかった。
来年僕は、ミュージシャンとして仕事をするようになって5年目を迎える。いわゆる「社会人5年目」とでもいおうか。同じ年代の仲間が、そろそろ会社やコミュニティーの大きな戦力になりつつある中、僕は音楽という、大学時代の専門とはまったく関係のない分野で働き始めた。音楽で食べて行こう、と心に誓ったのが5年前。この間僕はどこまで歩いてきたのだろうか。
オーディションで加入させてもらった既存のプロのグループを辞めたあと、僕はまずひとりのミュージシャンとして裸になることが必要だと思った。とかくグループというものは個が埋没しがちで、自分の弱いところが良くも悪くもごまかせちゃったりする。僕の音楽的な力のなさも、グループにいたことでかなりごまかされていたような気がする。そんな自分に足りないものを探すこと。これがミュージシャンとしてひとり立ちする第一歩だった。
「社会人」2年目も終わりを迎えつつあった僕は、アメリカのバークリー音楽院にて曲を書くという技術を徹底的に学び始めた。基礎を学ぶことなく独学で書いていた僕に足りなかった知識を埋めたのち、この2年間で狂ったようにボーカル・グループ用の編曲を書きまくった。ボーカル・グループものだけでなく、様々な形態のバンドや管楽器のための楽譜、そしてもちろんオリジナル曲もたくさん書いた。一方で、友人たちは社会人3年目を迎え、給料がうなぎのぼりになりつつあるようだった。僕はいつかアメリカで、最高にイケてるボーカル・グループを立ち上げて日本に連れていくんだ、という夢を常に抱きつつも、翌月の生活費さえ覚束ず、無理にでもポジティブに生きようと前向きな曲を書いた。
僕はラッキーなんだと思う。渡米後2年目にして、念願のグループを立ち上げ、その8ヵ月後に日本に連れていって公演することが出来た。そしてメンバーチェンジを経た今、日本のみならずアメリカ東海岸の各都市での公演が実現しつつあったり、レコーディングが行われようとしていたり、いよいよ飛躍の年を迎えようとしている。
自分が尊敬するミュージシャンたちと演奏をしながら、自分の信じる音楽を通して仕事が徐々に軌道に乗ってきている。自分が作ったグループが世界レベルで少しずつ評価されつつあることは、5年前の僕にはきっと想像もつかなかったに違いない。
僕がいまいるところは、そんなところだ。いまからさらにまた5年後のリンゴがどんな色をしているかは、皆目見当がつかない。ちょっぴりビターで、でも最高においしい味を、国境を越えたいろんな人たちに提供できていたら、そんなに嬉しいことはないと思う。
PS
以前「サンタクロースの贈り物」で書いた来年以降の動向の件、引き続きもらえる奨学金のほか、授業料一部免除の通知が先日来てなんとか来年もここアメリカに留まれることになりました。そして、卒業もなんとかできそうです。多くの方にご心配いただき、本当にありがとうございました。みなさんからの温かいメールに、とっても支えられました。
来年は1月にピアノとデュオで東京・神戸で演奏したり、5月にはSyncopationの2度目の来日公演があったり、アメリカで活動しつつも日本とのつながりをより強くしていきたいと思っています。もっともっとより良質な音楽を、より多くのみなさんにお届けできますように・・・。
メリー・クリスマス。そして、よいお年を!