よく晴れた秋の日に (11.11.2003)

Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE
卒業まであとふた月になったある秋の午後、僕は紅葉の鮮やかな近所をひとりで散歩して落ち葉を集めていた。ニュー・イングランド地方の紅葉は全米で最も紅葉の美しい地域とされ、毎年観光客が山のように訪れる。日本の紅葉のような「侘・寂」とはまた違った「ゴージャスな」感のある紅葉。アメリカに来て初めての秋はなんとなく違和感もあったが、三度目の秋を迎え、ニュー・イングランドの紅葉の良さも違和感なく素直に感じられるようになったな、って思う。
石の上にも三年、と昔の人は言った。ことわざにはきちんと理由があるもので考えれば考えるほど「なるほど」と思ったりすることが多々あるが、僕は三年という時間は何かを成し遂げるのに最低限必要な時間だと思っている。アメリカに渡った当時の僕は、まさか三年もアメリカに住めるとは思ってもいなかったし、卒業まで出来るとは夢にも思っていなかった。それがこの2003年12月19日をもって、僕はバークリー音楽院ジャズ作曲科をまさに卒業しようとしている。ひとつの通過点とはいえ、こんなに感慨深いことはない。
当初は紅葉ばかりか、アメリカという国そのものに戸惑うことも多かったっけ。一年目の9月にテロがあり、国全体がなんだかおかしくてどうもアメリカが好きになれなかったし、アメリカ人のやり方と日本人のやり方の違いにびっくりすることも少なくなかった。それが今では、良さも悪さも含めて、アメリカという国と正面から向き合えるようになった。アメリカが自分にとって、外国であって外国でなくなってきているのかもしれない。
自分のミュージシャンとしての力量を試してみる地としてアメリカを選び、そしてまたアメリカの音楽であるジャズを選んでしまった以上、僕はこの国についてしっかり理解しなくちゃいけないし、この国で生活し人々と対等以上に仕事していけるようには、まず環境に慣れることが必要だった。環境に慣れるというのは奥の深い話で、ひとまず生活に慣れればそれでいい、というのではなく、もちろん言葉のひとつひとつを理解し、それらの微妙なニュアンスを理解した上でアメリカ人を理解し、またアメリカ人のやり方を理解していかなくてはならないのだ。そして一番大切なのはそれにただ合わせていくのではなく、それらを消化した上で、日本で生まれ育った自分のやり方とうまく融合させた自分のスタンスを確立していくこと、それを一緒に仕事していくアメリカ人たちに、(押し付けではなくきちんと尊敬の念を持って)いかに受け入れてもらえるか、ということなのである。
こういった労力は、アメリカ人であればする必要のないことだ。自分が外国人だからこそ、そして大なり小なり東洋人であるというハンディがあるからこそ、アメリカ人の何倍も時間と労力を注がないと(この国で勝負する以上)彼らと対等以上に仕事なんてできやしない。まずは同じ土俵に立つまでの努力は並大抵ではないし、それなりに同じ土俵に立ち始めてからも、外国人である僕らは、やはり彼らの何倍も力を注がなくては彼らにはなかなかかなわないのが現実である。
ただそんな言い訳をしても、誰も同情なんかしてくれない。仮に同情してくれたとしても、結果が伴わなければ誰も助けてはくれない。移民で構成されたこの国は、「外国人だから大変なんだ」なんて言っている暇があったら、黙って努力するか、せずに埋もれるのかという選択肢しかないようにも思える。当然ながら、夢を追いかけてアメリカに渡ってきた僕には前者しか選択肢がなかったわけで、ただただがむしゃらに走っみるよりほかに残された道はなかった。楽しかったけれど、辛いことも少なからずあった。才能なんてほとんどなかった僕がそれでも走ってこれたのは、音楽に対する愛情と、夢にかける情熱が桁外れにあったからだろう。その結果としての卒業。いや〜、胸が熱くなるのも無理はないでしょ。えへへ。
一年目に基盤を作り、慣れて来た二年目には何かを始める。そして三年目には飛躍。石の上にも三年というのは、そういう意味があるのかな、って思う。僕の場合はアメリカにいられる期間が一年しかないと思っていたから、一年目に「今は土台作りだから」なんて悠長なことを言っている余裕なんてなかったけれど、結果としてみたらそういう三年を過ごしてきた。そしてその飛躍すべき三年目を迎えている今年の10月、アメリカに来てまさに二年目の始まりの頃に作ったSyncopationは、ボストンの名門ジャズクラブ「レガッタ・バー」に出演した。アメリカに渡った当初に「いつかはここでやりたい」と強く思ったこの場所で、しかもグラミー賞候補にもなった憧れのLuciana Souzaと共演。この夜、僕はあまりに感慨深くて泣いちゃいそうになった。ああ、オレもここまで来れたんだ、って。
正直いって、アメリカに来る前はこんなことが実現できるようになるなんて思ってもみなかった。いま共演している人たちのレベルは、間違いなくワールド・クラスのプレイヤーたちなのである。いまから五年ほど前、まだミュージシャンとして生計を立て始めるちょっと前、ジャズミュージシャンの知り合いに「僕のア・カペラ・グループと一緒に何かしてみませんか?」って話をしたら「申し訳ないけど、君たちのいまやっている音楽と僕らのやっている音楽では、幅の広さが違うんだよ。」と言われ、やんわりと断られた。そのときは残念だったけれど、どうやったら自分にも彼らのように幅のあることが出来るかなんて想像もつかなかった。ただただ自分の力の無さを認めるしかなかったのである。だって本当に知識も力もまるでなかったもんね。
これを書いているいま、卒業はあとひと月ちょっと後に迫っている。この三年、社会人学生という意識を持って生きてきたし、自分が「学生」であるという意識はあまりなかった。でも振り返れば、学生というステータスがあったからこそできた冒険は沢山あった。あとひと月、僕は学生だからこそ出来ることを、もう一度全力でチャレンジしてみたいと思う。もう二度とはやってこないこの時間を、後から振り返って最高の三年だったと思えるように、悔いの無い最後のひと月にしよう、そう強く思ったよく晴れた秋の午後。振り返るには早すぎるけれど、これまで支えてきてくれた数え切れないほどの人たちに、僕は感謝してもしきれない。