一年で一番長い日 (6.22.2003)
Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE
公の場でこんなことを書くのはどうかとも思うが、ひと月の日本滞在を終えてアメリカへ発つ直前に、僕は失恋をした。帰国前日の国際電話。「明日アメリカに戻るよ。君にまた会えるのがいまから楽しみだよ。I
really really miss you.」。そんな僕に、ため息をついた後、彼女は「好きな人ができたの」と呟いた。
国や母国語、育ってきた家庭環境から今置かれている状況までいろんなことが大きく異なるふたりだったけれど、それでも僕らはとても愛し合っていたし、僕は彼女が大好きだった。あれから10日余り。僕は(当たり前だけれど)未だに立ち直れずにいる。
「私はすごくdependent(依存的) な人だし、あなたが忙しすぎてあまりかまってくれないのが、どうしても寂しかったの。」
ここ数ヶ月、僕らの関係はこのひと言に象徴されていたと思う。僕は夢を追い、音楽に没頭し、グループ運営やレコーディング、ツアーの準備などのほかに学生としても授業が普通にあり、誰もが想像できないような忙しい日々を送っていた。僕自身こんなに忙しかった日々は生まれて初めてだったし、確かに彼女と過ごす時間は減少傾向にあった。そして大きなプレッシャーやストレスを抱える中、自分が精神的に寛大な男でいられたかといったらむしろ逆で、彼女の前でそのストレスをぶつけてしまったことも、少なからずあったと思う。
僕は大きな夢を持っている。その夢を実現させるのは簡単なことではないし、そのうえそれできちんと生活していけれるだけの収入を得るのは、それこそ並大抵の努力では叶うはずがない。ステージに立っているのなんてほんの一瞬のことで、そのために1日十数時間もアレンジに費やす日々が続いたり、その間にはグループのリハーサル、レコーディングやミックス作業、ツアー関係のメールのやりとりが一日数十件、そのうえで個人練習もし、普通にフルタイムで授業もこなす(もちろん膨大な量の宿題もあったりして)。
先日たまたま道端で立ち話をした友達に、「確かに信じられないぐらい忙しそうだったわよね。よくやるよなぁ、って思ってたわ。いったいどこからそんなパワーが生まれるの?」って聞かれたけれど、僕にしてみれば他に選択肢はなかった。
たとえば会社勤めしている人たちは、少なくとも朝の9時から午後の5時までは働いている。(多くの人はさらに残業があったり通勤があったりするわけだけれど)。つまり生きていくために、彼らは1日少なくとも8時間の労働をしているのだ。だからミュージシャンという職業を選んだ僕にとっても、1日少なくとも8時間を音楽に割くことは、彼ら同様にきちんと生計をたてていきたいのであれば当然のことなんだと思っている。
1日2時間とか3時間とかを練習時間にあてて、「私はプロになりたい」と言っている人をかなり見てきたけれど、それははっきり言って甘いと思う。会社勤めしてても1日8時間の労働をしなくては生活できないのに、さらに競争の厳しい音楽の世界で、それ以下の時間しか避けないのであれば、よほど才能のある人なら別だけれど僕のような才能のない人間にはとてもじゃないけれど生き残れるはずがない。チャーリー・パーカーは1日14時間練習していたらしいし、ジョン・コルトレーンだって、ツアー先のホテルですら四六時中練習していたそうだ。彼らがそこまでしているのに、彼ら以上の努力をしなければ、平凡な僕のようなミュージシャンが、一流になんかなれるはずがない。
そう信じて、僕はここ数年、特にアメリカに渡ってからの2年半は、ただがむしゃらに突っ走ってきた。
正直なところアメリカに渡る前は、こんな短期間のうちにこれほどのことを達成できるとは夢にも思っていなかった。Syncopation
のメンバーにしても後ろで演奏しているバンドにしても、そしてプロデュースに関わってくれたり一緒に仕事をしている人たちのレベルにしても、アメリカに来る前ならばおそらく相手にもしてもらえなかったぐらいすごい人たちと仕事をし、そしてそんな人たちを僕がバンドリーダーとして率いている。
おそらくこの1年弱の間、一番大変だったのはそこなんじゃないかと思う。メンバーチェンジをして格段にレベルがあがり、一緒に歌っているメンバーのレベルだって明らかに自分よりすごい、と思う。それにともなってバックに使うミュージシャンのレベルもあがり、つまらなかったり分かり難いチャートを書いてきたりすると、あからさまに嫌な顔をされたりしたことも一度や二度ではなかった。今年のはじめごろには、ミュージシャンとして大先輩でもあり、大の「親友」でもある実姉に突然国際電話をかけ、「いま自分のしていることは、明らかに自分のキャパを超えちゃっててしんどい」って、弱音を吐いてしまったこともあったぐらいだ。
単にグループのメンバーであることと、リーダー、アレンジャー、そしてプロデューサーとして彼らを率いることには、明らかな違いがある。まずは自分の書く曲やアレンジが、最低でもプレイヤーたちに納得してもらえるレベルになくてはならない。そして、特にSyncopationのメンバーの(自分を含めた)4人には、納得というレベルを超えて「Leeのアレンジはすごい」と思ってもらえなくてはならない。そして、プロデュースの面でも、もちろん演奏の面でも、「こいつとやっていて楽しい」と思ってもらえなければ、メンバーなんてすぐにやめてしまうだろう。
遊びではないのだ。僕らにだって生活がかかっている。そしてなにより、ミュージシャンとしての精神的な満足度を満たせない音楽だったら、こんななかなか金にならない(あるいは金になるまで時間がかかりすぎる)ことなんて、やるに値しないだろう。(精神的にも経済的にも満たせない仕事を選ぶ人なんていないでしょう?精神的に満足できなくても、給料がいいから、とか、給料は悪くても精神的に充実しているから、といった仕事の選び方は、ごく当然のこと。それが両方実現できている人は、世の中それほど多くはないでしょう。)
だから去年の10月にこれまでのメンバーとはレベルも意識も違う新メンバーのふたりが加入したとき、一番心配だったのは「新しいふたりが自分の書く音楽やプロデュースしているものに、彼らの人生をかけるだけのものを感じてもらえるか」ということだった。ただでさえ4人の中では一番ジャズ歴も浅く、かつ彼らと違ってジャズが母国のカルチャーではなかった僕が、彼らが「このグループこそが自分のやりたかった音楽」といってもらえるようなものを提供していくのは、実はとんでもない賭けだったように思う。
ミュージシャンという生き物はある意味エゴイスティックな動物で、レベルが高くなればなるほど、どんなにペイがよくてもつまらない音楽だと仕事を受けないか、あるいは受けたとしてもほどほどの演奏しかしなかったりする。逆にエキサイティングな音楽をしていれば、たとえペイがさほどよくない仕事だったとしても、信じられないほど素晴らしい演奏をしてくれたりもする。今でこそ「Syncopationと演奏できて楽しかったぜ」「また(次の機会に俺を)使ってくれよ」とか本番後ににこにこしながら言ってもらえたりするけれど、特にホーンセクションを後ろにつけてやりだしたこ頃は「この楽譜、ここどうなってるんだ?」「アクセント記号のつけ方がおかしいぜ」とか、非難轟々だったこともあった。
それを何とか乗り越えた今、僕は確実に人間としてもミュージシャンとしても、ひと回り成長できたんじゃないかと思う。
この数ヶ月、本当に大変だったけどこれまで生きてきた中で一番充実していた。仕事がどんどん面白くなるときというのは、まさにこういうときなのだろう。ツアーも想像以上にうまく行ったし、その後日本に残ってした個人的な仕事(ワークショップやグループ・個人などのレッスン等)の数々も、これまでよりずっと質の高いレベルで仕事をすることができたように思う。まわりからの評価も上がる一方で、どんどん新しいオファーが舞い込んできていたりする。
だからこそ、だ。僕はツアーを終えて、そして個人的な仕事をほぼ終えた頃、「ここでもう一度謙虚にならなくてはならない」と思った。
日本の高度経済成長期やバブル期がそうであったように、うまくいっているときには必ず見えない驕りがあり、大きな落とし穴がある。うまくいっているように見える影で、自分が見落としているものはないか。実はまだまだ僕やグループの力量に不満を感じている人はいないか。もう一度原点に戻ってみる必要があるんじゃないか。そう強く思ったのだ。
そう思った矢先の失恋だった。ここ半年の膨大な仕事量がひと段落し、やっと一緒に過ごせる時間ができたときだっただけに、「どうしてこのタイミングで!?」と、やりきれない気持ちでいっぱいではある。
でも振り返ってみれば、確かに僕は彼女をきちんと大切にしてあげられなかったんだと思う。里帰り中に会った、会社で文字通り朝から晩まで働く日本の友人たちに、「それでいいの?プライベートな時間は?彼氏・彼女とはいつ会えるの?」と何度となく尋ねてきたが、それはそのまま僕自身にも当てはまることだったのかもしれない。
ミュージシャンという職業を選び、実際に仕事を始めて4年強。僕は音楽のために他の全てを犠牲にして生きてきた。それは、きっと今までの僕にとって必要不可欠だったと思うし、そういう時期がなかったらミュージシャンは一流の域なんて夢のまた夢なんだろうと思う。今の自分もなければ、Syncopationだってないだろう。だから決して否定はしないし、それはそれで、そういう時期だったのだ、と思っている。
ただ、自分では気づけなかったのだが、今回失恋した彼女の前に付き合っていた恋人たち(といってもそれほど多くはありませんよ!)は、僕のわがままにとことん付き合ってくれる(あるいはそう装ってくれている)人たちだった。そのことに、僕は知らず知らずのうちに甘えてしまっていたんだと思う。恋人に対し、自分が合わせていこうというよりも、自分のスタンスに恋人たちを無理に合わせさせていた。そんな傲慢な男だったように思う。
でも僕はいま、そういう生き方に対して転換期を迎えているのではないか、という気がしている。
ひとりの人を幸せにすることが出来ずに、どうして多くの人たちを幸せにできよう。これまでの僕は、多くの人たちを幸せにする(あるいは多くの人たちを自分の音楽を通して幸せにしたい、という自分のエゴの)ために、一番近くにいる大切な恋人を寂しい思いにさせてきていた。もちろん女の人によって恋愛のスタンスは様々だから、今回別れてしまった彼女ほどケアが必要な女性ばかりではないだろう。それでも僕は、少しずつでいいから自分を変えていきたいと思う。もっともっと、音楽ばかりでなく身近な人たちを大切にできる人間でありたいと思う。音楽は僕を幸せにしてくれるけれど、音楽しかないのなら決して心から幸せにはなれない。音楽があって、大切な人や家族の存在があって、友人たちがいて・・・。幸せは複合的な産物だと思う。そして音楽とは怖いもので、そういう日常的な思いやりや心のあり方が、その人の音楽性に明らかに出てしまうものでもある。
また時期がくれば、この半年がそうだったように信じられないほど忙しい時も間違いなくあるだろう。でも、たとえそういう時でも、きちんと大切な人を大切なんだとしっかり抱きしめられるような男でいたい。音楽は決して一方通行では存在し得ず、聞く人たちがいてはじめて、僕らミュージシャンの存在がある。恋も決して一方通行ではない。ひとりの人を心から幸せにしてあげられる、そんな僕がつくる音楽の延長線上に、より多くの人たちの幸せが生まれる。そんなミュージシャンであり人間・阿部恒憲でいられたらな、と思ってやまない。