ボーカル・アレンジの神様 (04.04.2004)


A Little Memory of You 
photo taken by Tsunenori 'Lee' Abe



自分の仕事から得られる喜びで涙を流せる人たちが、この世にどれぐらいいるのかは分からないけれど、おそらく多数はではないであろうその幸福な集団の中にいる幸せを、今週は何度も噛み締めた。

1998年。僕がミュージシャンとして生きていこう、と思い始めてまだ間もなかった学生時代。親友のスウェーデン人が、フィアンセからプレゼントされたというSingers UnlimitedのCDの七枚組ボックス・セット。嬉しそうにしている彼女の宝物を一緒に聞いていて、改めてSingers Unlimitedの凄さを実感したけれど、120ドルぐらいするそのボックス・セットを、しかもミュージカルのキャストで世界中旅しながら、制限された荷物の中にそれを詰めて持ち運びしようなんて夢にも思わなかった。

それから何年か、そのボックスセットのことはあまり考えなかった。たまに思い立ったように、CD店に立ち寄ったときに、「そういえばあるかなぁ」なんて思って探したりはしたが、いつも決まって「ありません」との答えが返ってきたし、アメリカのCD店に至ってはSingers Unlimitedのことを知っている店員なんてまずいなかった。

2001年1月にアメリカに渡ってからひと段落し始めたころ、そんな見つけにくい状況や貧乏社会人学生のフトコロ事情に反するかのように、僕の中でこのボックスセットの必要性は日増しに高まっていた。ボーカルアレンジを職業とする僕にとって、Singers UnlimitedのアレンジャーであるGene Puerlingは神様みたいな人である。Hi-Lo'sやSinger's Unlimitedで活躍し、よく知られるところではマンハッタン・トランスファーの「A Nightingale Sang In Berkley Square」でグラミー賞を受賞したり、Take6に多大なる影響を与えたことでも知られるGene。Take6ばかりか、世の中に存在するジャズ系ボーカル・グループやアメリカにおける現在のジャズ・コーラス教育界では、Geneの影響を受けていない人はいない、と言っても過言ではないぐらい彼のDNAはものすごい広がりを持っている。

僕が初めて彼のアレンジに出会ったのは、やはり「ナイチンゲール」だった。高校2年か3年の頃だったろうか。初めてマンハッタントランスファーのCDを買い、そのCDに入っていた唯一のア・カペラ曲であったナイチンゲールに衝撃を受け、それ以来その曲ばかり何度も聴いては「いつかこの曲を歌ってみたい」という希望が沸々と湧いてきた。大学に入って、当時はア・カペラなんてものを知っている人がほとんどおらず、サークルなんてものも存在しない中で、僕はまさにこの曲を歌うためだけに人材を探した。といっても、ア・カペラなんてものをやったことのない僕にとって、いきなりこんな難曲に挑戦することはカミカゼ特攻隊のゼロ戦でひとりカリフォルニアを目指しちゃうような無謀さがあったので、まずとりあえずは簡単なゴスペル曲を見つけて、自分の耳で採譜してみた。そしてあとは、日々出会う人にさりげなく「ねえ、歌の経験ある?」とか聞いてみたりして、一緒にやってくれそうな人を探したっけ。

そんなふうにして初めて組んだグループは、楽しかったけれどこの大曲をまともにハモれたことが一度もないまま太平洋沖にて撃沈(笑)。Geneの偉大さの前に、ジャパニーズシンガーはまさにカミカゼアカペラーとして為す術もなかったのでありました。チャンチャン♪

なーんて、話がやや飛躍したけれど、そんな多大なる影響力をもったお方のアレンジを、僕はことあるごとに研究したりしたものの、全部合わせて140曲以上も納められたこのボックス・セットを購入したのは、実はつい先週のことだった。このところようやく貧乏学生なんて状況から抜け出せたってのが結構大きかったりもするけれど、5月のアルバム収録に向けてもっともっと勉強しなくては、という思いが止まらなくなった僕は、ついにネットでこのボックスセットを見つけ、購入に踏み切った。

実は僕、まだみんながメールなんてものを使っていなかった1996年から既にネットを通してアメリカからCDや楽譜を購入する、なんてことをしてたくせに、ここ数年はどうもネットで何かを買うなんてことにいつも躊躇していた。そんなものだから、「ご購入ありがとうございました。本日発送いたしましたので数日後にはご自宅に届きます。」なんてメールが届いて以来、毎日そわそわ。部屋でアレンジを書いたりしながら、ちょっとでも物音がするとだだーっと玄関まで走って「届いたかも!」とか思って外を覗き見してみたり(中から外を覗き見ってのもヘンだけどぉ!)、ドアを開けて確認してみたり。そんな数日を経てこのCDが届いてから3日。僕は衝撃のあまり遂に一度、2〜3日アレンジをストップすることを決意して、ただただこの7枚のCDを朝から晩まで聞き続けている。(こうしてコラムを書いている今も、もちろん聴いています!)

一通りだいたい聴いて、最後の7枚目のCDをかけ始めて11曲目のボサノバの隠れ名曲、「I Wish You Love」。この曲が流れ出した瞬間、僕はあまりの衝撃の大きさにそのまま曲が終わるまで身動きすら出来なかった。そしてすぐにこの曲をリピートにかけ、以来この3日間に100回は超えるだろう、というほどこの曲を聴きつづけている。そして何度も涙を流し、鳥肌が立っている。

はじめてこの「リピート涙」状態を経験したのは、高校1年か2年ぐらいのときにラジオで聴いて動けなくなり、後に毎日ラジオをつけて曲がかかるのを待ってようやく探し当てた、Boys U Menの「It's So Hard To Say Good-bye To Yesterday」。それ以来、マントラの「ナイチンゲール」、VOX ONEの「Morning」などで同じような衝撃を受けてきた。そして、この感動の大きさを自分の手で作り出してみたくなった僕は、アマチュアミュージシャンで続けている限りそれが無理なことを悟り、プロのミュージシャンとして生きていこうと心に決めた。

大学時代にお世話になった教官のひとりで、国連の仕事でタジキスタンに派遣されている最中に殺害された秋野豊先生は、僕が学生時代に「自分が一番得意だと思う分野で勝負しなさい」と言っていた。「これは得意じゃないんだけど、仕方なくやってるんだよね。だからあまり出来なくてあたりまえ。」なんて言って「でもほんとは得意なことすればちゃんとできるんだよ」って言いたげな人たちをよく目にするけれど、そういう人たちは結局のところ逃げているんだと思う。そういう人たちがいざ得意な分野で挑戦してみてできるかといったら、世の中そんなに甘くない。どんなに得意なことだって、世の中には限りなく人がいて、どんな分野にだって上には上がいる。そんな中であえて一番自分ができる、と思っていることで挑戦するのはとても勇気がいることだと思う。だからこそ、その挑戦に自ら打ち勝ったとき、まさに涙が出るような喜びがあるのだと僕は思っている。

これはまた別の機会に書きたいと思っているが、音楽は決して僕にとって得意な分野ではなかったし、いまでもそれほど得意なわけではないと思う。もっと得意な分野が実は存在しているのは、自分ではなんとなく分かっている。でも、ほかの何より好きな分野であったから、若いということ以外に勝算なんか何もなかったけれど、22歳の秋、僕はミュージシャンとして生きていこうと決めた。

それ以来、決して得意でない音楽の中でも自分が生き残っていける、一番得意な分野は何なんだろう、ということを模索してきた。答えはいくつかあったけれど、中でも一番自分が好きで、かつ得意だとも思えたのが「アレンジ」だった。ほかのことはすぐ途中でやめてしまったりしても、アレンジに限っては何時間でも何日間でも続けることができた。そして自分の中に才能のかけららしきものを見つけてエネルギーを注ぎはじめたころ、僕は秋野先生がおっしゃっていたことの意味がやっと分かってきた。「これは逃げられないぞ。」って、心底気づいたのだ。自分が得意だと思う分野で壁にぶち当たることは、自分そのものを否定されたような気持ちになってしまうこともしばしばある。でも、そんな分野で成功していくと、ほかの人には決して味わえないような幸せもある。

僕の場合、得意だからというよりも好きだから、というのが先にあるし、より大きな理由でもある。ひとつの曲を何度も聴いて無条件で涙を流せる自分がいるから、そんなものを作りたい、という一心が自分の仕事に対して「がんばろう」と思える大きな原動力になるのだ。そしていい音楽を作れれば感動して泣いちゃったりもするし、うまくいかなければ悔し泣きをしたりもする。

Geneのアレンジに圧倒され、上には上がいる(彼の場合、そんなものをさらに超越しちゃってるけれど)ことをまた思い知らされたのと同じ日の夜、僕はGeneの曲を聴きながら眠れなくなってしまい、ふとパソコンの電源を入れて北コロラド大学ジャズ出版部(UNC Jazz Press)のウェブサイトをふと訪れてみた。実は僕の楽譜がこの出版部から発売される予定になっていて個々の楽譜の契約も済んでのだが、まだ実際に発売された、という連絡が来ていなかったのである。でも連絡が来るより先に、ウェブサイトで発売を知ったこの夜、僕は本当に嬉しくてベッドの上でひとり飛び上がるほど喜んだ。

いままで何枚かCDを出してきてその度にとても嬉しかったけれど、自分のアレンジが楽譜として出版される喜びはまた違った喜びがあるものだ。自分が一番得意とする分野で、純粋に楽曲の編曲そのものを気に入って、それを演奏してみたくて人々が購入する。それも、この分野では日本よりだいぶ先をいっているアメリカで、先をいっているからこそ海を越えて勝負する決意をしたこの国の出版部で、自分の編曲が認められたことの意味は僕にとって限りなく大きい。自分も1996年以来、ここの出版部から発売された楽譜を何部か購入していて、実際に歌ってみたりそこからアレンジを勉強してみたりしてきた憧れの出版部でもあった。それだけに、自分の師匠や尊敬するアレンジャーたちと並んで僕の名前をそこに発見できた瞬間の喜びは、まさに筆舌に尽くしがたいほどのものだった。

自分の仕事に誇りを持てること。そして、仕事を通して感動を得られること。海を渡る決意をして以来、いろんな人にいろんなことを言われ、「いつかこいつらを見返してやるんだ」ってがんばってきたけれど、こうして自分の仕事が広く認めらるようになってきたことで僕は、その悔しさに対して自分の中で何らかの答えが見つかってきたように思う。そしてこの幸せを決して忘れず、奢ることなく、Geneが書いてきたアレンジに匹敵するような作品をたくさん生み出せるようなアレンジャーになりたいし、そのための努力をこれからも惜しみなく続けていこうと思う。




Geneについて知りたい方はこちらに詳しく載っています。ただし、英語ですよ〜。

UNC Jazz Pressから僕の作品を見つけたい方は、こちらからご覧になれます。こちらも英語ですが、興味のある方は購入してやってくださいね♪

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