島唄 (03.28.2002)


足跡。このあと。
Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE


今日はBerklee Performance Center で、International Folk Festival というコンサートがありました。バークリーの学生の中から、いろんな国を代表した音楽を披露する場なんだけど、オーディションで選ばれた数組が、今日のステージを踏めたわけです。幸運なことに僕も選ばれ、The Boomの宮沢和史さんが書いた「島唄」という曲を歌ってきました。

ほんとは、昔よくステージで歌っていた「からたち野道」という歌を歌いたかったのですが、「さらにもっと日本の色が出たものがいい」と言われ、試行錯誤の末に、編成もアレンジも極めてシンプルにして、よりユニークなサウンドを持つ「島唄」に曲を変更したわけです。

はじめは正直なところ、やる気をなくしかけていました。一番やりたい曲をやりたい、という思いが強かったからです。でも、僕のように音楽を仕事にしている人間にとって、受ける仕事は必ずしもやりたいことがそのまま出来る、というわけではありません。むしろ、やりたい音楽がそのまま仕事になるなんて、そうそうあることではありません。では、やりたい、と強く思わない、あるいはあまり興味がない仕事はやらなくてもいいのか。それは人それぞれですが、昔の僕なら、「じゃあやらなーい」なんて言っていたように思います。でも今は、もっといろんなものを受け入れています。自分がそれほど興味のない仕事だったとしたら、それをどうしたら自分に興味の持てるようにするか。限定された中で表現しなくてはならなかったら、その枠内でいかに表現するか。

今回の場合、まず曲を変える、編成も、はじめはボーカル、ピアノ、ギター、ベース、ドラム、アルトサックスという編成だったのですが、「小さくしてみてください」と担当の人に言われて、ボーカルとベース、ドラム、シンセという要望をしたら「ベースもなしだ」と言われました。

ここで、「じゃあやらなーい」じゃなくて、「じゃあ、その限られた編成でいかに最大限の表現をできるか」という発想。それが、編曲やプロデュースを仕事としている、僕の腕の見せ所なんだと思います。恥ずかしい話、アメリカに来るまで、そんな簡単なことに気付けなかった。自分のやっていたバンドの音楽と自分の音楽が合わない、というとき、そこで「じゃあその中でどうしたらいいか」というより、絶望的な感情に走ることのほうが多かった気がするんです。

結局、今夜は大成功でした。頭をひねりにひねってアレンジをした挙句、ドラムとシンセ2台にボーカル、という、限りなくシンプルな編成にし、シンセも「じゃんじゃん聞かせる」タイプではなく、三味線の音を単音で鳴らすのを基本に、後半あたりからPadを薄く鳴らす、という程度にしてみました。ドラムもほとんどTom中心で叩いてもらい、和太鼓のサウンドをうまく出してもらいました。そしてさらに、僕がひとりでア・カペラで始め、最後もア・カペラで終わる、という流れにして、「足し算」ではなくて「引き算」の考え方でアレンジをしてみました。

これが巧を奏したのでしょうか。ここ数年で僕が経験した中で、一番大きな拍手だったと思います。自画自賛じゃなくて、今晩出演した数組の中で、一番拍手が大きくて長かった。コンサートが終わったあとも、次から次へと、心からの感動を伝えに来てくれて、僕まで感動しちゃいました。だって、アフリカからやってきて、アメリカの大手レコード会社と契約までしているシンガーや、バークリーで指折りのシンガーやほかの楽器奏者たちにまで、「今日は君らが一番だった」「心から感動した」「人生の重みを感じた」なんて、次々と真剣に言われて、「君と歌いたいから、電話番号を教えてくれ」なんて誘われる始末。

おいおい、おれ、あんたらほど上手くないねんで!どうかしてるぜ!


ひとつ思ったのは、ほんとにこの曲が素晴らしいということ。今日は、自分が歌ったというよりも、この曲の持つ力が僕を歌わせてくれた、という気がしました。

聞くところによると、この「島唄」はいま、アルゼンチンなどでカバーされ、ヒットチャートで1位になっているとか。本当にいい曲というのは、国境を超えるものです。「上を向いて歩こう」もそうです。ビートルズのいくつかの曲もそうです。もとはフランスのシャンソンだったジャズのスタンダード、「枯葉」もそうです。そして、この島唄もしかり。

僕らの直前に演奏した、ブラジルのシンガー、本当に上手かったです。まるでJoyce(ブラジルで指折りのボサノバ歌手)のような演奏でした。「おいおい、こりゃ反則だぜ。これを日本人にやれっていっても無理だろ。かっこええなぁ。俺もブラジルに生まれたら何か違かったかなぁ」なーんて思ったりして。

でも、信じられないことに、その彼らよりもっと大きな拍手がもらえて、拍手が鳴り止まない。

確かにいえるのは、「島唄」のなんともいえない「こぶし」の利かせ方は、別に習ったわけでもないのにすんなり出来る。R&Bのリフや、サンバのビートは死ぬほど時間かけてもなかなかできないのに、「島唄」の「こぶし」は初めて歌ったときからできるんです。そして、今日みたいに1000人のお客さんを前にして、自分ひとりの声だけでア・カペラをしても、堂々と歌える。これがジャズなら、自分ひとりの声でここまで人の心を動かせたでしょうか。

ここに、日本人のアイデンティティを持ちながら西洋音楽に取り組む、僕らのような存在の限界点と、そして逆説的だけど大きな利点があるのかもしれません。

和太鼓風のドラムを担当してくれたKo Kanza君(彼のドラム、めちゃおすすめです)も、別に習ったわけでもないのに初めてリハをしたときにいきなり、きちんと和太鼓のビートが出せる。これは完全に血ですね。 こういう血があるのに、あえてアメリカの音楽であるジャズや、西洋の言葉でいうところの「ポップ」を学び、職業にするのは、どうしてなのか。

これは常に考えて続けていることで、それなりの答えはあるものの、いつも折に触れて葛藤することでもあります。

でも今日みたいな反応を受けると、自分の血を生かしたミュージシャンでありたいな、とさらに思います。それは、ジャズをやっていようがポップをやっていようが、同じです。力んだ形でなく、「俺は日本人だぜ」とかきばってみるのでもなく、すんなりと、自然体で、自分なりのジャズやポップのなかにそんな味を盛り込めたら、素敵ですよね。

このアメリカって国、いろいろ問題はあるけれど、お客さんの反応が(いいときも悪いときも)ストレートなのは、日本とは比べ物にならないです。ドイツもすごかったなぁ、そういえば。こういう客層を相手に、もっともっと自分を磨いていかなきゃ。来週のソロリサイタルが、さらに楽しみになってきました。今夏来日するジャズ・ボーカル・グループ、Syncopation(しんこぺーしょん)も初お目見えですよ〜。



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