基礎建築とちくわの輪切り (02.01.2002)


higher, and higher
Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE


このところ、ちょっとブルーだった。わけもなくブルーだったといえばそうなんだけど、でもよく考えるとわけはきっとあるのだ。いつも支えてくれていた人がいなくなって、精神的なバランスがちょっと崩れているのもそうだろうし、漠然とした今後への不安も大きい要素かもしれない。

漠然とした今後への不安。こんなこと僕が口にすると、「えっ?」と思う人も多いかもしれない。でも僕だって人間だし、人一倍弱いとこだってある。日本にいたころは「グループ」という安全網に守られながら仕事をしていた。そしてそれで食べていくことが出来たし、多くのお客さんにも自分の作った曲を聴いてもらえた。

いまこうして高度なことを勉強していて成長しているけれど、果たしてその後、それをまた多くの人に聞いてもらえる状態を作りあげて、かつきちんと食べていくことは出来るのだろうか。音楽で食べていく、というのは容易なことではない。しかも、「芸能」界ではなく「芸術」としての音楽界で食べていくのはさらに難しい。自分が昔やっていたグループがふたつ、去年から今年にかけて「メジャー・デビュー」というものをして多くの人に音楽を聞いてもらえたり、それで(少なくともしばらくは)食べていくことが出来ている。彼らの音楽性がどうであれ、そういう事実自体に羨ましいかと聞かれたら、そりゃ僕だって人間だから、「いいなぁ」と思う自分がどこかでいるのは確かだと思う。だって、かたや若いファンの女の子に囲まれ、「きゃー」とか言われているかと思えば、こっちは個人ベースで地味に動き、只今修行中の僕は、いい歳して経済的にこんな思いせなあかんのかー、って思うやんか。ねえ、みなさん。

ってな具合で「くさくさ」していた今日このごろだったけど、今日それを「がつーん」とひっくり返すようなコンサートがあった。バークリーのボーカルの先生、Donna McElroy のライブ、「Tribute to Sarah Vaughan」。文字通り、今は亡き偉大なジャズ歌手、サラ・ボーンへのトリビュート・コンサート。ディレクターはジャズのリアルブックにも曲が載っている大物で、これまたバークリーの先生、リチャード・エバンス。そして、弦楽器も含めたフル・バンドのほとんどは先生で、一部生徒が混じってはいたけど、かなり「本気」な布陣。アレンジもみな、作編曲関係の先生の中でも、選りすぐった面々によって書かれていた。

バークリー音楽院で勉強をはじめて早一年。いろんなライブを見てきて、多くの感動を得てきたけど、今日のライブは今までで一番凄かった。久しぶりにライブを見て涙がじわっと出てきた。

「ホンモノ」たちが本気になったライブは凄い。ほんと凄い。Donna の歌は、歌である以前に、言葉だった。そして、聞いているすべての人たちとの会話だった。僕を含めて、そこにいた人間のほとんどが、その会話に完全に引き込まれていた。


日本にいた頃、僕は週2〜3回のペースでライブをしていた。多い時期はほぼ毎日。でも、今日僕が得たほどの感動を人々に与えたことが、一度でもあっただろうか。開いた口がふさがらなくなるような、そして自分の状況への感情移入とかじゃなく、本当に音楽の素晴らしさに涙が出るような経験を、お客さんにしてもらえたことがあっただろうか。もっと基礎的なところでいえば、僕はきちんと言葉を伝えていたのだろうか。

ここで、僕の周りにいる「ホンモノ」たちへの道のりはまだまだ遠い。ほんと追いつく日が来るんだろうか、って途方に暮れちゃったりすることもある。でも、今日僕は何かが吹っ切れた気がする。ここに来て本当に本当に、ほんとうに良かった。こんなすげえ「本気で音楽してる」人たちに教えを受け、また切磋琢磨している一日一日が、実はとてもかけがえのない宝物なんだと思う。

思えば、日本で曲を書いたり歌ったりする仕事をしていたとき、僕は自分の実力に不相応な収入を得ていたのかもしれない。基礎建築のしっかりしていない建物が比較的早い時期に必ず崩壊するように、基礎のない僕の音楽も、あのまま走っていれば早い時期に崩壊していただろう。そしてそうなってから引き返そうと思ったとき、自分が思っているより年齢を重ねてしまっていることに呆然としたかもしれない。

演奏というものは、教えを受けることはとてもいいことだが、どうしてもなくてはならないものではない。でも、曲を書くという行為は、ある程度系統立てた勉強が必要なものである。独学ですべてやっていた僕は、表面的なことは分かっていたつもりだったけど、基礎の部分がいくつも抜け落ちていて、応用が利かなかった。基礎のない応用は、借用でしかないのだ。そんな書き手には、「芸能」が出来たとしても「芸術」は出来ないだろう。

そして、一年間みっちり基礎を叩きこんだ今、いろんな形で応用が効きはじめている自分に気付く。演奏面でも、去年の秋から「書くばかりじゃだめだ、演奏もできなくては」と心を完全に入れ替えている。その効果が、少しずつだけど出てきている。

僕の生き方は、たとえていうならば、ちくわの輪切りみたいなものだ。普通に暮らしていれば、ちくわの先っちょの方までどんな味だか分かるんだろうけど、僕の場合は輪切りだから、今切ったところの味しか分からない。まあ、ちくわはちくわだから、「先はこうかもしれない」「先はこうありたいよな」なんて予想はつくけど、はっきりと分かるわけじゃない。「先っちょ」の方、つまり将来は、あくまで今の延長線上にあるだけだ。

経済的に苦しかろうがなんだろうが、心の貯金がどんどん貯まっている今は、実は贅沢な生活なのかもしれない。それがしたくても出来ない人は、世の中に溢れるほどいる。この貯金が、のちのち基礎建築の上に美しいオブジェを建てることを可能にする。絶対にそうだと思う。

何年か後、今日 Donna やリチャードが与えてくれたような「本気」で「ホンモノ」の感動を、多くの人に届けられたら、と心から思う。そのために、明日からまたがんばろう。そんな2月の第一日。



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