ア・カペラについて 〜その2〜

アメリカ・ニッポン・スウェーデン
 
(01.25.2002)

 
Nami
Photo taken by Tsunenori 'Lee' ABE


実はこの「ア・カペラについて」のコラム、ちょっと悲観的な内容になるんじゃないか、と思っていた。アメリカに来て一年、僕が垣間見てきたアメリカのア・カペラ・シーンは、思っていたよりイケてない側面が多かったからだ。いろんな人の話を聞いていても、「いまはたくさんグループがあるけれど、アメリカで面白いグループはTake6ぐらいしかない」、というような見方が多かった。

でも、最近ちょっと考え方を変えた。やっぱりこの国、残念ながら日本のコーラス界より圧倒的に進んでいる。そしてそれはなかなか覆すことのできない状況なんじゃないか、って気さえする。

何が僕の考え方を動かしたのか。

先日ボストンで、僕の勉強しているバークリー音楽院主催の、「High School Jazz Festival」があった。どでかい会議場を2フロア借りきり、いくつもの部屋に分かれてひとつの階ではビッグバンドやコンボ、もうひとつの階ではジャズコーラスのグループ。何十校ものハイスクールから中高生が集まって、それぞれの練習の成果を競うのだ。基本的にはニューイングランド地区の学校が多かったが、中にはわざわざベルギーから参加している学校もあった。

「ジャズ」というと、なんだか小難しいものに感じる人も多いだろう。実際そういう側面もある。

アメリカに文化はあるか、という問いがよく笑いの種として話にのぼることがあるが、そこで答えにあがるのはたいてい、マクドナルドに象徴されるファストフードぐらいだ。アメリカ人は、ヨーロッパやアジアのように長い歴史の中で育まれた文化がないことに恥じ入る人が多い。そして、ヨーロッパの人たちからはそういう意味で見下されていることも多い。

しかし、ここに立派なアメリカ文化がある。「ジャズ」のことだ。

起源については諸説あるが、19世紀末のラグタイムや、ミンストラル・ショー、黒人労働者たちが哀しみを歌っていたブルースや、黒人が教会を通して発達させたゴスペル・・・。これらが融合して産まれたのがジャズであるといえよう。

そして、ア・カペラ。言葉の意味自体は、ラテン語の「教会風の」ということから来ているのだが、徐々に「無伴奏の」という意味を帯びてきて音楽用語として知られるようになった。ア・カペラとは楽器なしで、声だけによって演奏される形式(=スタイル)のことだ。だから、どこの国にもア・カペラは存在する。ひとりで歌おうが何千人で歌おうが、声だけで歌っていれば「ア・カペラ」なのである。

しかし、いま「ア・カペラ」音楽というと、もっと狭義のニュアンスで使われることが多い。いつも家でひとり歌っていて「あたしア・カペラやってるの」って言ってみたり、100人のママさんコーラスを伴奏なしで歌っているおばちゃんが、「最近ア・カペラにはまってんねん」とは(おそらく)いわない。

いまみんなのいう「ア・カペラ」とは、3〜8人程度の少人数の編成で、声だけで演奏している音楽のことを指していることが多い。そして、さらに狭義でいえば、その中でもクラシックや民族音楽ではない、ポピュラー音楽を歌っていることを指すことが多い。

そのようなスタイルはアメリカで出来上がったものだと僕は見ている。その起源は、黒人によるゴスペルクワイヤの中で、少人数で歌い始めた人々による音楽であったり、20世紀半ばにはやった、「Doo-Wop」(黒人のリズム&ブルースと白人のロックンロールが融合した音楽)であったり、ほぼ同じ時期に各地の床屋に人々が集まって歌い出した「バーバーショップ」であった。そしてそういったアプローチを吸収して発達し始めたのがジャズコーラスであり、これもまたアメリカで発達した現在の「ア・カペラ」音楽に大きな影響を及ぼしている。

そういった音楽が、「ハイスクール・ジャズ・フェスティバル」を通して、各地から集まった中高生が歌っている。そして、その中には日本で「プロ」「セミ・プロ」として活動しているグループよりも、格段にうまいグループだって少なからずある。こんな音楽を、こんな歳で、このレベルでやってるんだから、そりゃあ差がつくのは当たり前でしょ。ふう。

最近日本では「ハモネプ」の影響で中高生がア・カペラをやり始めている、と伝え聞いている。多くの人が声の魅力というものに関心を持って、裾野が広がるのはとても良いことだと思う。でも、そこに、このアメリカのハイスクールにいるような指導者がいるか、というと残念ながらそういうことはほとんどないのが実情。多くの中学高校は、「合唱部」「吹奏楽部」の枠内で、クラシック音楽を中心とした音楽以外はやらない、というスタンスである。そして、ひどいケースでは、ジャズやポップなどを「俗な音楽」と蔑視して、やろうとすると白い目で見られることがある。現に僕の中学では、クラス合唱でポップ(といっても20年以上前のポップだったのに)のアレンジをやろうとしたら学校側から「そんなものは駄目です」といわれた。

こんなことだから、日本のリスナーの耳はいつまでたっても低いままなのだ。「音楽」とすら呼ぶことすら躊躇するようなものが、ヒットチャートを賑わせている。紅白「歌番組」なんだか紅白「かくし芸大会」なんだか分からなくなっている。全国各地の音楽の先生呼んでこーい。オレが教育しなおしてやるー。なーんて。

いやいや、素晴らしい先生も多くいらっしゃいます。でも、そうでない先生や、型にはまったことしか出来ない先生が、あまりに多すぎるのだ。もっともっと、いろんな音楽を聴く機会を生徒に与え、「これがいいものです」とか「これが駄目なものです」とかいう教え方をするんじゃなくて、生徒自身にいいのかそうでないのかを主体的に判断させるような音楽教育が必要なのだ。自分でいいものかどうか判断することの出来ない生徒の耳が、どうして肥えるというのだろう?音楽業界が「はい、これ。いいよー、いいよー、いいのよーん」って出してきたものを主体的に判断することのできないまま(あるいはしたつもりになったまま)受け入れて、「これ、いい!」とか言ってる人があまりに多いのである。(この問題は、音楽に限らず日本の教育全体にいえることだろうけど・・・。)



ア・カペラ、という点でアメリカ以外に注目すべき国はスウェーデンだろう。いまや世界的に有名なア・カペラ・グループの「The Real Group」がある国である。

スウェーデンには、コーラス人口がとても多い。国民の大半が、なんらかのコーラス経験がある。大人になってからも、町のコーラス団なんかで歌ったりしているおじちゃんおばちゃんが多くいるらしい。「そういう土壌があるから、Real Group が「ア・カペラ・グループ」としてだけではなく、ひとつのアーティスト集団として、ヒットチャートに姿を見せるのであろう。「ABBA」など、世界的に有名なバンドを数多く輩出しているのも、小さい頃から耳が肥えている人が多いからであろう。

2001年に貞國公洋と「Voice Connection」の企画をしはじめたころ、彼とよく、国際電話で「日本のコーラス界は、トップアーティストのレベルがまだまだ低いから、リスナーの耳も肥えないのかもね。俺たちががんばらなきゃ駄目なんだ」って励ましあったのを思い出す。その夏に東京と神戸で行ったVoice Connection のライブでは、残念ながら短期間しかリハが出来ず、レベル的に満足のいくものとは言い難かった。CDは面白いものができたし、少なくとも方向性は示せたかもしれない。でも次に何かやるときは、いま自分に足りないものをもっと補って、日本のコーラス界にもっと大きな危機意識を投げかけるようなことをしたい。

とりあえず今年は、アメリカでいいものを作って、逆輸入することを目指すつもりです。さて、どんなものになるやら・・・。

(つづく)